書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

ブログというものは。

 おはようございます。今日も蒸し暑そうですね。適度に休憩しながら、気を付けて過ごしましょう←自分。

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 ブログというものは、「結論」だけが書かれているものなのだなーと、ふと思いました。いえ、自分の経験した経緯を書かれているものもあるし、むしろ経緯だけを書いて結論は無し、というもののほうが多いぐらいです。多分私のもそうかもしれない。

 だけれども。その「経緯」だとて、その時その現在の、「私が考える」経緯、なのですよね。事実とは微妙に違う。物事は、私中心に回っているわけではもちろんなく、大きな動きの中で、私から見たほんの一部分を、私の見方で切り取って、更に、短いブログにまとめあげる時に、ほとんどの些末事項を切り捨てて、私が「ここがポイント」と思う事だけを書いている「経緯」。私の取捨選択が入っているという事で、これは一種の私の結論、と呼んでも差し支えない気がします。

 結局のところ、ブログには、その人の考える結論しか、書かれていない。それが正しいかどうかも不明だし、おそらく多くの部分でその考え方は偏っている(私のは特に)。

 つまり、ブログで人様の「経緯」を読ませて頂く事で、私自身の経験値が上がったように感じてしまうわけですが、これは、間違っているかもしれない、と思うのです。人様がブログに嘘を書いている、という事ではありません。その経験の経緯を書く時に沢山の情報の取捨選択が行われていて、それはその人の価値観や考え方で行っているものである以上、その「経緯」にも当然偏りが発生しているわけで、事実が書かれているにも関わらず、それは実は事実ではないのではないか、と思うのです。

 という風に考えると。ブログを書く、読む、という事には、危険がつきものであると思われます。ブログを読む事で、物事を分かったような気になってはいけないし、自分が否定されたと感じたとしても、それはそのブログを書いた人(とそのお仲間)だけの「結論」であって世の中の結論ではない、という事を、よく分かっていないといけない、と思うのです。「結論」ではなく「経緯」だけが書かれていた場合でも同じで、というよりむしろ、「経緯」だけを書かれている場合のほうが危険かもしれません。「経緯」だけが書かれている場合は、それがまるで「客観的事実」のように感じれらてしまうからです。「経緯の記述」だとて、個人の「取捨選択を経たもの」だという事を、よくよく分かっていないと危険だなと思います。

 ブログに書かれている事とは、「そのブログを書いた人(とそのお仲間)だけの結論」であって世の中の結論ではない、という事、忘れないようにしたい。

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