書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

いちからの子育て記録5

 生後半年頃からは、体の発達の遅さ以外にも、「あれ?」と思う事が増えていきました。わりとすぐに違和感を感じたのは、「うなずかない」事と「指さしをしない」「大人の模倣をしない」事でした。

 まだ話のできない子供というのは、親から何か言われた時、イエスならうなずき、ノーなら左右に首をふる、というジェスチャーを誰に教わるともなく自然にやるものです。特に、うなずくのはやるものですが、息子は一度もしませんでした。何を言って聞いても、ぼーっとしていました。

 また、私が指さししたものを、見ないのです。本人も指さしをしません。

 半年ぐらいから絵本の読み聞かせも始めたのですが、どれだけ絵本を読んでやっても、ページをめくるその作業だけが楽しいようで(紙をぺらぺらするのが)、内容には全く興味を持たないんですね。私が絵を指さしても見ないし、自分でも指ささない。話の内容(といってもちょっとした擬音の面白さとか、その程度ですが)、にも、全く興味を示さない。

 大人に対しても興味を持ちませんでした。そもそも、母親である私のマネをする、という事が一切ありませんでした。例えば、いないいないばーをしてやっても、ちょっと笑うだけで、おしまい。自分でもやってみる、という事がありません。何か面白い動作、おつむてんてん、とかやっても、しらーと見ているだけです。食事中、私がスプーンを使っていても、自分も使いたい、とはなりません。普通のお子さんだと、親がスプーンを使っていたら、やり方はめちゃくちゃでもとにかく自分もスプーンを持ちたがるものです。息子は、そういう事が全くありませんでした。

 子供というのは、大人の模倣をする事で、身の回りの事ができるようになっていく、つまり自立していくわけですが、息子は模倣を一切しないので、何一つ自然にできるようにはならなかったのです。だから、何かを出来るようにさせてやろうと思ったら、一つひとつ手取り足取り教えこんでいかねばなりませんでした。しかも、手足足先の発達が遅れていたので、極端な不器用さから、何をどう教えても、うまくできるようにはなりません。日常的な自立に向けての事は、全く身についていきませんでした。

 一日中、何もかもが親がかり。朝起きて、夜寝るまで、すべて私が助けてやらないと動けない何もできない、そういう感じでした。これは後になるのですが、幼稚園に入ってから、息子があまりにも自立できていない事に対して、園の先生に何度もきつく私が叱らました。「お母さんが過保護だから子供が育たない」と。でも、違うのです。そもそも模倣してくれないから、身に着かない。そもそも不器用過ぎて何もできるようにならない。私は教えて教えて教え続けているのです、と先生には言えませんでした。言ったって、ただの言い訳に聞こえる事は、よく分かっていたからです。

 「お母さんが過保護なせいで、子供が育たない。子供がかわいそう」

 この台詞は、ずーっとずーっと、言われ続けましたし、いまだに言われます。外から見たらそう見えるのだから仕方ない、と私は思って、今は諦めていますが、まだ新米ママだった当時は、とてもきつかったです。これを言われ過ぎて、ウツっぽくなった事もあります。何をしていてもボロボロ涙が出てきて、息子のお世話をしながら顔はにこにこ笑っているのに、涙だけ出続けている、という事がよくありました。私はすぐに泣くほうではないし、そもそも泣く人が苦手なのですが、当時は自然現象のように涙が出て止める方法が分かりませんでした。そういう自分が嫌で、「被害者意識は持ちたくない」とずっと強く思い続けて、ある日、涙が止まり、それからは吹っ切れて泣かなくなりました。

 息子は模倣をしないので、当然ですが、言葉も覚えませんでした。模倣をしない事の一番の弊害は、言葉の遅れ、だったかもしれません。言葉については、また後日改めて書きます。

 模倣をしなかった当時の息子が、何をしていたかというと、自閉的な反復行動です。その場でピョンピョン飛び続けたり。襖やドアの開閉を延々続けたり。そういう行動をさせている限り、本人の情緒は落ち着いていて気分も安定していますが、そういう自閉的な行動に浸っている間は外の世界をシャットアウトしているという事なので、何一つ出来るようにはなりません。幸い、息子のこういう自閉的な反復行動は、言葉を獲得した小学校入学くらいに、自然になくなりました。 

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