書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

いちからの子育て記録2

 引き続き、私の子育て記録を書いています。

 産前と産後で、私の周囲の人間関係は大きく変わりました(悪い方へ)。

 産前の私は、楽天的で他人を簡単に信用する人間でした。が、産後、なんだかんだで傷つく事、苦しい事が多く、だんだんと人を信用できなくなっていきました。特に、信用していた家族を、信頼できなくなってしまった事は大打撃でした。

 詳しい説明は省きますが、産後、私の夫、両親や義両親、兄弟などなど、「身内」と呼べる人間が、ことごとく私から離れていきました。

 それは、産まれた子供が発達障害児であった為です。発達障害という診断が出る前から、あまりの育てにくさに、まず私の母が根を上げ、「こんな難しい子供は預かれない」と拒否されました。また、私から母へ電話をかけると「あなたから電話がかかってくると何事かとドキッとするから、用事がないなら電話してこないで」とキッパリ言われました。夫は仕事を理由に家に帰らなくなりました。診断が出た後は義両親は「我が家に障害の血筋はないから、あなたのほうね」と言われ、距離を置かれてしまいました。

 ぐにゃぐにゃで抱けない。体がどうにも不安定で、お風呂に入れられない。お乳を飲めない。飲めるようになったら、今度は哺乳瓶が飲めなくなる。お乳を飲むのが下手で、一回の授乳に1時間かかる。寝つきが悪く、寝起きの機嫌も悪い、起きた瞬間に泣き出して泣き止まない。なんだか分からないけれど、とにかく普通じゃない。とにかく何をするのも手間ひまがかかる。ちゃっちゃとこなせない。どうしたらいいのか、育児書にも載っていない。専門家に聞いても分からない。対処方法が分からない。

 子供を産んで以降私は、困った事があっても身内の誰にも相談できず、頼る事もできなくなりました。身内と、普通にまた付き合えるようになったのは、息子が、曲がりなりにも落ち着いてきて、育てやすくなった小学生になった頃からです。

 今思うと、家族からしたら、私が困っているのは分かっていても、どうやったら助けられるのか分からないし、分からないという事がすでにストレスなので、私が困っているという事実を、見ない選択をしたのだと思います。それは、誰にも責められる事ではないと、今の私は考えます。

 仕方ないのです。誤解を承知で書くなら、発達障害児という存在が周囲に与える損害は、果てしなく大きいという事です。でもそれは、発達障害児自身の罪ではありません。周囲の人間の罪でもありません。ただ、事実として、そうなのです。

 損害、というのは言葉がきつすぎるかもしれませんが、それまでの人間関係が、大きくダメージを受ける事は間違いありません。

 ここは本当に、母親が腹をくくらねばならないところだと私は思います。

 発達障害児を良心を持って育てようと思ったら、今までの自分の人間関係や自分の良いイメージを保ち続けるのは、無理です。

 基本的には誰からも「本当には」助けてもらえない事を、覚悟せねばなりません。

 同時に、多くの人から「善意から」見当はずれのアドバイスや叱責を受ける事もまた、覚悟せねばならないのです。

 発達障害児を育てる時、子供を守ろうとしたら、それはどうしたって外からは「過保護」「自己中」「クレーマー」に見えるからです。それは、発達障害児に適した子育て方法が、一般には「過保護に見える」からです。今でこそ、様々な知識を得た私は、それらが「過保護ではない」と理論武装できますが、子育て真っ最中で寝る間も食事の時間もなかったあの数年間、必要な知識を得る事すら無理で、私はただ本能的に息子を守れる事だけを選択して生きていました。

 発達障害児を育てている時、周囲の人達は、良かれと思って様々な事を押し付けてきます。彼らが子供を見る時、彼らは発達障害児としては見ていません。健常児として見ています。彼らは発達障害について何も知りません。だから彼らのアドバイスは間違っている可能性があります。全てが間違っているわけではないですが、母親の勘で「おかしい」と感じる事(人)からは、勇気をもって距離を置かなければなりません。その判断基準は、誰も教えてくれません。本にも載っていません。自分で考え、決めるしかありません。正解は一生分かりません。けれど結果の責任は負わねばなりません。頼りになる前例は何一つありません。それでも、やるしかないのです。発達障害児の親になる、という事は、そういう事だと思います。 

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