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カサンドラ症候群の存在について。

 カサンドラ症候群という言葉をご存じでしょうか。カサンドラ症候群についての記事をご参考までに貼っておきます↓。

カサンドラ症候群とは?アスペルガー症候群の家族がいる人が注意したい症状・対処法まとめ【LITALICO発達ナビ】

(上記記事から少し抜粋します)

カサンドラ症候群とは、アスペルガー症候群がある人の家族や身近な人が、コミュニケーションをうまく築けないために起こる二次障害です。カサンドラ症候群の症状としては、身体的なものと精神的なものがあります。症状の程度によっては、日常生活に困って医療機関を受診しなければならないほどまで、高いストレス状態に陥ってしまう場合があります。代表的な症状は以下のようなものがあります。

偏頭痛
体重の増加または減少
自己評価の低下
パニック障害
抑うつ
無気力
自律神経失調症 など

(抜粋終了します)

 

 私の息子は発達障害ではありますが、アスペルガーではないので、私自身は厳密には、カサンドラ症候群とは言えません。それでも、子育ての一番つらかった時期、私は上記の症状の多くにあてはまっていましたし、子育てが一段落した今でも、自律神経失調症による疾患にたびたびかかります。

 発達障害は、発達障害者本人も勿論生きることが大変です。そこは絶対にそうなのですが、同時に、発達障害者の周囲の人間(特に親族)も、大変なのです。それは、カサンドラ症候群という言葉が存在する事からも分かると思います。

 私はこの事(発達障害者本人が大変なのと同じくらい、発達障害者の周囲の人間も大変なのだ、という事)は、発達障害者本人も分かっているものだと思っていました。子供の間は分からなくても仕方ないですが、大人になったら、分かってくるものだと思っていました。

 が、そうでもないのだなあ、という事を、ある記事を拝読して感じたので、今日はその事を書きます。

 そのブロガーさんは、自分は発達障害である、という立ち位置で、記事を書いておられました。全ての記事を拝読したわけではないのですが、それでも、ユニークな視点で分かりやすく書かれている記事が多く、才能のある方なのだと感じました。また、一方的な意見ではなく、できるだけ広く様々な見方をしながら物を考えようとされている姿勢も、信頼がおける方なのだろうと思いました。なるほど、と納得できる記事の多い中、その記事に対してのみ、私は強い違和感を感じたのでした。

 私が違和感を感じた理由について、順を追って書いていきます。

 その記事で、まずこの方は「発達障害児をバイキンか何かのように扱う保護者の陰口を聞いた時、失礼だなと感じる」と書いておられました。そこは私も共感できました。

 ですが、その後、この方は、ご自身が、失礼だなと感じた根拠として、「苦労も多いけど、ADHD型人間で良かったと、心の底から思っている」からだ、と書いておられました。ここでまず、私は、少し違和感を感じました。

 何故ならば、私が、発達障害に対する偏見を受けた時、それを失礼だと感じるのは、息子が発達障害で良かった、と思っているからではない、からです。私は「他人に迷惑をかける存在ならばバイキン扱いされても仕方ない。でも、発達障害=他人に迷惑をかける存在、と一律に決めつけるのは間違っている。他人に迷惑をかけないように努力している発達障害者もいるのだから」と思っているからです。

 更にこの方の記事は、こういう風に続きます。「無難に生きたい、無難こそが正義だという価値観の人にとっては、(発達障害者は)厄介な人種なのかなあと思います」。これにも申し訳ないのですが、私は違和感を感じました。

 発達障害者が厄介者扱いされる理由は、彼等が人を困らせるから、だと私は思っています。ただ単に、彼等が「普通ではないから。無難ではないから」という理由で、発達障害者を厄介者扱いする人は少ないと思います(いないわけではありません)。もちろん、発達障害者は、普通ではない、という理由で避けられがちです。ですが、あくまでも「避けられる」だけです。「普通ではない。変わっている」というレベルでは、厄介者のレッテルまでは、貼られません。これは、私が息子を育てていて感じる実感で、このブロガーさんの意見とは少し異なるのです。

 更に、こういう記述が続きます「集団の中で、没個性であることを良しとしながら、個性的であれと教育され、実際に個性的であると叩かれる。本当に不思議な世の中ですよね」。これにも、全くうなずけない私がいます。発達障害者が叩かれるのは、個性的だから、ではないからです。発達障害者が叩かれるのは、その言動に周囲が困らされるから、です。周囲の人間は、発達障害者に困らされるから、厄介だと叩くのです。この方は、そこを、なんだかすごく上手にすり替えているように思います。

 もちろん、発達障害者が、他人を困らせてしまうのは、本人の咎ではなく、障害故です。だから責める事はできません。ですが、発達障害者の言動に困らせられて病気になってしまう人間も、現実に存在する。それがカサンドラ症候群です。

 カサンドラ症候群になる人は、発達障害者が「普通ではないから。個性的だから」、病気になるのではありません。発達障害者の言動に困らせられ、ストレスをためこみ、病気になるのです。

 記事の最後は、こんな風に締めくくられていました「少しずつでも、自分を好きになれればそれでいい。 血液型だって4タイプに別れているんだから、脳みそのタイプだって種類があって当たり前。胸を張って生きよう

 これだけ読めば、確かにその通り、だと思います。ですが、この記事の冒頭には、こう書かれているのです「発達障害じゃないほうがいいですか?私はそうは思いません

 この方は、「発達障害でもいい、その理由を今から書きます」と銘打って、この記事を書き始めておられるのです。その結論が「脳みそのタイプだって種類があって当たり前だから、発達障害でも良いのだ」という結論になっている。

 違和感です。発達障害でもいい、その理由は、「だって、色んなタイプの人間がいるのが当然だから」。これは筋が通りません。

 色んなタイプの人間がいるのは当然だと、私も思います。ですがそれは、「発達障害が存在する理由。生まれてくる理由」にはなるけれども、「発達障害で良い理由」にはならないと思います。 

 ここからがとても微妙な部分なので、慎重に書きます。

 私は、発達障害者が障害故に周囲を困らせる言動をとる事で、発達障害者を責めたいとは思いません。また、その事で、発達障害者の方に、自己否定してほしくはありません。それは障害故だから、仕方のない事だと思うからです。発達障害者の罪ではないからです。

 また、私は、発達障害者の「良い方の特性」を、とても素晴らしいものだと思っています。真面目さ、嘘をつかないこと、特出した能力、他人と自分を比較しないこと、などなど。

 それでも、そういう事を冷静に全て把握していてすらも、日々日常的に発達障害者と暮らす、という事は、しんどい事なのです。発達障害者自身も、きっと、とてもしんどいだろうと思います。本人達もしんどい、周囲もしんどい。

 もし、発達障害者として生まれる事が「大変か、大変でないか」乱暴に二択で選択せねばならないとしたら、私は、「大変だ」と答えます。

 ですが、大変だから駄目だ、というわけではないし、大変だから存在が間違っている、というわけでもありません。

 大変だ、という立ち位置を確認して、そこからでないと生きられないのではないか、と思うのです。

 発達障害は、本人も大変。周囲も大変。だからこそ、手を抜かず、丁寧に、お互いを理解しようと頑張り、努力しようと思えるのではないか。障害なんだからしんどくて当たり前、大変で当たり前、だからこそ、少しでもしんどくないように、少しでも困難さを減らせるように、普通の人がしない努力、気遣い、思いやり、エゴを抑えて相手の気持ちに寄り添う事、先々手を打って困らないように、やっていこうと思う。

 発達障害は大変じゃない、と思ってしまったら、こういう苦しい努力を私達は、自ら進んでできるでしょうか。

 ここまで書いてきて、今、気づきました。私がその記事に違和感を感じたのは、冒頭の「発達障害でいいと私は思っている」という文章について、だったのかもしれません。

 発達障害でいい。

 発達障害は悪い。

 発達障害を、いい、悪い、で考える事が、変なのです。発達障害は、良くも悪くもありません。ただの障害です。発達障害は別に「悪くはない」のです。だから、発達障害だからといって、自分を責める必要はない。同時に、発達障害は「よくもない」のです。だから、発達障害で良かった!と開き直ってもらっては周囲は困ります。

 発達障害は、良くも悪くもありません。ただの「障害」です。

 障害だから、本人も周囲も大変です。それだけの事です。

 本人も周囲も大変だ、だから発達障害本人と周囲双方には、それ相応の努力と工夫、譲歩と思いやりが必要になってくるのです。大変ではないという前提に立ってしまったら、私達は、努力も工夫も譲歩も思いやりを持つ事も、怠るでしょう。人間は弱いですから。そうなった時、一番優しい者が心身を病む事になります。それがカサンドラ症候群の存在であり、また、発達障害者が精神疾患に陥りやすい理由でもあるのです。

 だからこそ、私は、「発達障害は、本人も周囲も大変だ。だからこそ相応の努力が必要だ」という前提を持っていたいと思うのです。  

 今回、この記事を書かれたブロガーさんには、否定意見を述べてしまって、申し訳なかったです。擁護するわけではありませんが、いつもとても面白い説得力のある記事を書かれているのですが、私が、たまたま、一つの記事に、ひっかかってしまっただけなのです。よく考えればブロガーさんがその記事を書いて下さったからこそ、私もこうやって、色々考えるきっかけになったわけなので、いずれにしても、お礼を言いたいです。そして、否定的な意見を述べてしまったお詫びもしておきたいと思います。申し訳ありませんでした。また、全体を通してその方が言いたかったのは、発達障害者でも胸をはって生きよう、という事なので、それについては私も完全に同意見だし、これからもそういう発信をどんどんしていって頂ければと、陰ながら応援しています。