書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

求心力のある人

 私は若い頃、ずっと思っていた事があって、「人が集まる人」(平らに言えば人気のある人、という事だけども、ちょっと違う)に必須な条件というのは、優しさでも見た目の良さでも財力でも権力でもなく、求心力だなあと思っていました。

 求心力。

 人を惹きつける強い力。

 求心力って具体的に何?というのがうまく説明できないのですが、一言で言えば「唯一性」のようなもの。他に同じものを持つ人がいない、ということ。そのずば抜けた唯一性が強い磁場となって、知らないうちに人が引寄せられていくのです。

 唯一性という説明も、具体的じゃないですが。能力の高さ、というのが一番近いかもしれないけれど、何かが出来る、というのではない、そういう方向の能力ではなく、見えない形に表せない能力。例えば、メンサのメンバーだからといって人が惹かれるか、といえば、そんな事はないわけで。また、人が集まるけれど、カリスマ、という感じでもない。頂点に立って、人を集めて指導し導く、というのではないのです。ただ、その人の周囲に人が集まっていく、というそれだけ。

 うまく説明できないまま、強引に話を進めますが、若い頃は、そういう「求心力のある人間」になりたかったのです。

 昔も今も、私はわりと群れないで、基本的には一人で動くタイプですが、それを寂しいとか孤独だとか感じた事はないし、人付き合いを避ける自分を否定的に見た事もなかったのです。自意識過剰な10代でも、「私って人から避けられているのかな」とか「私って人気ないのかな」とか、そういう方向の悩みを、一秒も感じた事はなかったのです。

 本当は、人気がなく避けられていた人間なのかもしれないのですが(いや、多分そうだろう)、それを気にしたり苦にしたり、した記憶がない。

 そんな私ですが、唯一一目置いていたのが、「群れている」のとは違い、一人で生きてるのに、周囲に人が集まるような人で、そういう人の事は、さすがに「凄いなあ」と思っていました。 

 それで、そういう人ってどういう人なんだろう?と観察していて、「求心力」という言葉が浮かんだんです。人気者とはまた違う、いつの間にか周囲に人が集まっている人。

 若い頃の私は、そういう求心力のある人間になりたい、と思っていました。今考えると、どうしてそう思ったのか分からないのですが、自己顕示欲の一種だったのかもしれません。「求心力を持ちたい」と思って生きていた時期が長かったです。

 求心力を持つ為にはどうしたらいいのか、と自分なりに考えて、唯一性を持つ人間になろうと思ったのです。それで人がしない経験を沢山したり、人がしない考え方を考え出したり、「人がしない事、誰も考えない事」をずっとやってきたように思います。

 それはそれで面白かったけれど、結構大変だったなあと今は思います。

 52歳の今は、求心力などどうでもいい、と思うようになりました。人として枯れちゃったのかなあと、少し寂しく思ったりします。昔の男のフェイスブックなどちらりと見て、そこに並ぶ個性的な記号に価値を感じていた自分を、遠く感じます。

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