書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

空気清浄器のフィルター掃除に人生を考える

 我が家には空気清浄器が2台あります。空気清浄器なんて、たいして効果ないだろうと思っていたのですが、使ってみるとやっぱり違うんですね。家の中の空気が。今はもう我が家には欠かせない物となっています。

 にも関わらず、私は日ごろ、あまり空気清浄器のお手入れをしないのです。本当は、一カ月に一回、フィルター掃除しなくてはいけない(何層にもなったフィルターに、一つ一つ掃除機をかける)のに、やらない。まるで冷蔵庫のように、つけっぱなしできちんと動いてくれるものと思っている。

 先日から始めた大掃除の一環で、やっと重い腰をあげ、空気清浄器のフィルターに掃除機をかけてみました。裏蓋を外した時点で、ものすごい埃。裏蓋の網目にも、その内側のフィルターにも、灰色の埃がこれでもかとたまっていました。こんな状態で動かしても、たいして空気清浄できていなかっただろうなあ、と猛反省。急いでできるだけ丁寧に掃除機で埃を吸い取りました。

 でも、面倒は面倒でした、、、。分解して、フィルター一つ一つにかけなきゃいけないし。清浄器自体2台あるし。

 どうして空気清浄器のお手入れを、ついついサボってしまうかというと、まず、汚れが目に見えないから、なんですよね。汚れるのはフィルターなのですが、それは機械の内側にあるので、外からは見えない。それでも、エアコンのように、「あたたかい空気や冷たい空気を送り出す」という目立つ仕事をしてくれるなら、「ああ、お手入れしなきゃ」と思えるんですが、空気清浄器の仕事って、部屋の温度を変えるわけじゃない。ただ、空気を綺麗にしてくれるだけ。

 空気が綺麗になった、と分かるのは、空気が汚い状態との比較でしか分からないわけで、常に空気清浄器をつけていたら、空気が汚い状態にはならないので、空気清浄器の仕事の効果を、実感として感じる事は不可能なのです。

 なので、日ごろは、空気清浄器が動いている事すら意識していない。意識していないから、お手入れする気にならない。

 まあ、言い訳なんですが。

 でも、たま~に空気清浄器の裏蓋を開けて、中のフィルターを取りだし、降り積もった埃の量を見るたびに、「気が付かない」という事の罪を考えます。

 物事はどんなことでも、「デメリットなく、勝手にうまくいく」という事はないんだなあと思うのです。例えば、こんな都会で、家の中の空気が、「勝手に綺麗になっている、そこに何のデメリットもない」という事は、あり得ないわけです。空気が綺麗になった分、しっかりフィルターは汚れていく。こんな当たり前のことを、私は日ごろ、ついつい見ないフリして生きている事に、改めて気が付きました。

 何か都合よく運んでいる時には、どこかで同じ分だけ不都合が溜まっている、という事実を、見ないで生きる事は、とても怖いことだと思います。自分にとって都合の良い状態が起こる時は、よくよく目をこらして、その分の不都合が、どこにたまっているかを見つけないといけない。そして、その不都合をクリーンナップしておかねばならない。WIN WINなんて、私は信じないのです。WINがあれば、どこかにLOSEがある。それが当たり前です。

 一見WIN WINに見える事があれば、どこかに同じだけのLOSE LOSEがたまっている、だから余計に気を付けなくてはいけないと思うのです。

 とはいえ、、、。裏蓋を開けて、何層にもなったフィルターに掃除機をかけるのが面倒くさいのと同じで、WINの裏側で起こった不都合を見つけ、何らかの処置をし手を入れるのは面倒なことです。面倒だけれど、それをせずに放っておいたら、いつか必ず、人生が止まってしまう、自分が動かなくなってしまう。

 もともと私は超がつくほどの楽天家で、横着者で、面倒くさい事は見ないフリして楽しい事だけやってた人間なのですが、30歳を超えたぐらいから、手酷いしっぺ返しのような事が何度もありました。運が悪いとしか言いようのない事が、次々に起こる。運が悪いで片づけてはいけない、とだんだん気が付いてきて、面倒くさい事を避けないように、むしろそこに注意を払うようになりました。で、今は無事に生きています。

f:id:oinor-i:20180331170550j:plain

  とはいえ、空気清浄器のお手入れは、大掃除の時しかしないのですから、なんのことはない、やっぱり横着癖は直せていないですね、、。いや、今月から毎月フィルター掃除します。でもこれってまあ、空気清浄器だけじゃなく、浴室やキッチンの排水溝の掃除にも言える事だなあ。「キレイ」の裏には必ず、「キタナイ」がたまっていく。そこから目を背けず、ケアをしていきたいと思います。