書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

頑張る、ねぎらう、次に行く

 子供の新学期が始まり、また私一人の時間が戻って来ました。

 まだ朝の風は少し冷たいですが、窓をすべて開けて、家中の空気を入れ替えました。深く深く深呼吸。そして、しばし目を閉じて瞑想。再び目を開けた時には、見える景色が変わっていました。風に白い薄いカーテンが揺れる様が、本当に綺麗だなあと感じられる感覚が、また戻って来ました。

 一人時間が必要だ、という事は、ブログ界隈を拝読していると、よく目にする言葉です。特に子育て中の主婦の方々。目にする頻度は、子供の年齢に反比例しているように思います。

 子育て中の主婦が、「私には一人時間が必要」と発言すると、「何を我儘な」と思われがちですが、やはり一人時間は必要だと、私も常々感じます。ただ、子育て中には一人時間が持てない期間がどうしてもあって、そこをどう乗り切るのか、で、その後が変わっていくのだとも感じます。

 息子の高校は春休みが長く、一カ月以上あったので、私には、厳密な一人時間は一カ月以上持てませんでした。その一カ月間は、自分的にはさほど無理をしていたという自覚はなかったのですが、こうやって久しぶりに一人時間を取り戻してみると、細胞の一つひとつが蘇ったような生き返ったような感覚を覚えます。やはり無理をしていたのだなあ、世話しなくてはいけない家族がずっと近くにいる、という事は、無意識に全細胞が緊張し続けているという事なのだなあ、と思います。

 そして、それを無事乗り切った自分を、ねぎらいたい気持ちになります。

 自分をねぎらい、お疲れ様、と言い、しばらくゆっくりして、また次に備えようね、と自分に声をかけて、そうやって、私は、私の日々を進めるのです。

 頑張る、ねぎらう、次に行く、また頑張る、ねぎらう、次に行く。頑張る、がなければねぎらえない、ねぎらえなければ次に行けない、なんかそんな感じなのです。次に進むエネルギーはねぎらいの言葉(自分から自分へ)で、ねぎらいの言葉は「ちゃんと頑張った自分」に対してしか言えない(自分のことだから誤魔化せない)。頑張ったフリをして実はサボっていたと自分が分かっていたら、ねぎらえない。

 だから、一人時間が持てなかったりという「不本意な期間」も、実は次に進むエネルギーになっていると思うし、大事なんじゃないかと思うのです。中途半端にしか頑張らなかった(私は逃げた)と自分で分かっていると、自分をちゃんと心からねぎらえないし、そしたら次にまた頑張ろうという気持ちが、湧いてこないのです。弾みが足りない、というのかなあ。

 とはいえ、「頑張る」といっても無理しない範囲で、ですし、私の生活なんて普通の方々から見れば、さして頑張っている要素は無いと思うのですが。ほんと、私なんか、子育てしかやってないし。高校になってからはPTAもしてないし。それでもなんだかんだ本人は必死なのが不思議といえば不思議。家族の要望に合わせて動けるように、いつも控えている事は、意外と大変なんですね。実働きの部分は少なくても、身動きとれないベンチ待ちの部分がとても多い。それが専業主婦の大変さかもしれません。

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