書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

諍いの時に必要なのは思いやり。

 私は日頃、自分の意見は言わないほうなのですが、どうしても言わなくてはいけない時は、言います。例えば、先日書いた夫の香水が臭い件とか、、。言えば必ず諍いになるのは分かっていても、言わないわけにはいかないので、言う。そして諍いになる。

 諍いになった時、私の関心は「どちらの言い分が正しいのか」だけでした。私の意識は、正しいか間違っているか、そこに集中していました。でもそれが、最近、少し変わってきました。

 というのも、諍いの時、ほんの少しでもいいから、相手に対して思いやりが持てる余裕のある人と、持てない人とでは、その後の人生が雲泥の差になる、という事が、だんだんと分かってきたからです。

 たとえば。

 知人で長く不妊治療をされている女性が二人いました(Aさん、Bさん)。5年ほど前、Aさんが、初めて妊娠反応が出た事がありました。妊娠の初期も初期ですから、流産の可能性はまだまだ高い時期です。その時、BさんはAさんに、色々な事を聞いていました。(採卵した数、卵のグレード、等々、、、私にはよく分からなかったのですが)。流産する可能性が高い時期なので、Aさんはピリピリしていました。そこにBさんから、卵の状況を詳しく尋ねられ、Aさんは怒り、Bさんに「そんな事聞くなんて信じられない。自分の状況と比べるつもりなの?比べられるなんて私は悲しい。もう友達ではいられない」と言いました。Bさんは「そんなに怒られるような事は聞いていない。卵の状態を尋ねるのは普通の事。自分と比べるというより、参考にさせてもらおうと思っただけ。そんなに怒るなんて、Aさんはおかしい。不妊治療が長引いてノイローゼになってるんじゃないの」と言って謝りませんでした。二人はどちらも一歩もひかず、相手が悪い、と主張して縁を切りました。

 その後、Aさんは無事に出産にこぎつけましたが、育っていくうちにお子さんは発達障害の可能性が出てきました。また、Aさんご自身は、育児のストレスからか長い不妊治療の無理が出たのか、婦人科系のガンになり、手術は成功したものの、寝たり起きたりの生活になってしまいました。小さいお子さんを抱えての闘病は、気の毒でしかありません。

 Bさんは、結局妊娠する事なく高齢を迎えてしまい、治療を止めたあたりから精神的に落ち込む事が多くなり、鬱から統合失調症へとなってしまい、やはり寝たり起きたりの生活になってしまいました。とても能力の高い人なだけに残念です。

 AさんとBさんの諍いにおいては、どちらも正しいし間違っていないと私は思いました。ただ、お二人とも長い不妊治療のせいで厳しい精神状態になっていた為、周囲への思いやりが持てない状態だったのだと思います。

 Aさんの言っている事も、Bさんの言っている事も正しいのですが、相手への思いやりがあるか?と言えば、ない。Aさんは、Aさんに先に妊娠されてしまって焦ったBさんが少しでも情報を欲しがる気持ちを、思いやる事ができませんでした。Bさんは、妊娠反応こそ出たものの、いつ流産するかも分からない危ない時期にあるBさんの不安を、思いやる事ができませんでした。

 諍いの最中、怒りで胸が一杯の時に、相手への思いやりを持つのは、とてつもなく難しい事です。私も持てません。誰かと諍いを起こしたら、私はいつも私が絶対的に正しい、相手が間違っている、で押し通してきました。諍いだけではなく、何か間違った事をエラそうに言っている人を見ると、イラッとして、その間違いを正したくなったりしました。私が正しく相手が間違っている(しかも偉そうにしている)のだから、間違いを正してやっても良い、と思う事がよくありました。

 そういう時の私の心には、「思いやり」という概念は一切ありません。正しいか、間違っているか、の二択しかありませんでした。恐ろしいことに。

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 普段の生活で、思いやりの心を持つのは、それほど難しくはありません。特に、自分の調子がいい時、自分が他人に優越している時などは、思いやりの心を持つ事はとても簡単です。

 でも、自分が苦しい時、誰かと諍いを起こしている時、明らかに自分のほうが正しいと思っているのに、間違っている憎らしい相手に対し、思いやりの心を持つ事はとても難しい。

 でも、そこでぐっと堪えて思いやりの心が持てるようになると、人格がぐいぐい磨かれていくのだろうと思います。従って、上がった格にふさわしい人生になっていくのだろうと思います。

 ただ、思いやり、と言っても、やたらとお人よしになるのとは違います。自分を良い人に見せる為に、やりたくない仕事を請け負うのも違います。思いやり、というのは、相手の気持ちをラクにする事だと思います。相手のプライドを尊重する、相手の承認欲求を満たす、相手の弱みを突かない、相手の苦しみを軽減できるように動く、そういう事です。当然、自分のプライドが傷つきますし、自分は弱みを突かれっぱなし負けっぱなしになりますし、自分が損する事になります。でも、それが思いやりです。もし、損をこうむる余裕が無ければ、その時は思いやりを持てなくてもよいと思います。でも、もし自分に、損する余裕があれば、思いやりを持って人に接する事が、自分の為だとこの歳になってやっと分かってきました。遅いです。遅すぎます。でも、気が付かなかったよりはましだと思うので、今日、今から心がけようと思います。

 このブログを書き始めた頃の記事にもよく書いていますが、私は、他人と意見が異なった時は、自分の意見は言わない人間です。それは、相手に対する思いやりではなく、言っても相手が引かないのが最初から分かっているから、言うだけ無駄だから、言わないだけなのです。私の心の中では、「私が正しい。相手が間違っている」という思いがずっと残ります。

 でも、幸せに生きていくには、正しいか間違っているか、だけではなく、思いやりを持てるかどうか、が、大切なのだと、最近やっと思えるようになりました。

 少し前までは、間違った事を言っている人を見たら「あー、間違いを正したい!」と強く思っていましたが、これも最近は少し変わってきました。間違った事を得意そうに語っている人を見たら、そっとしておこう、と思うようになったのです。その人は、そうやって語る事が幸せなのですから、その幸せを壊してはいけないな、と思うようになりました。もし、その間違いをその人が語る事で、周囲に大きく不都合が起こるようになったら、自然と本人も気づける事態になるでしょう。自然と本人が気づけるほうが、本人のプライドを傷つけずにすむから良いのです。正しい間違いは関係なく、その人がそれで幸せならそれでいいじゃないか、と思うようになりました。というか、そもそもその人が間違っているというのも、単なる私の意見なので、定かではないですし。

 ただ一つ例外があって、相手が悪意を持った人間であれば、速やかに離れるのが正解だと思います。悪意を持った人に対しては、思いやりを持ってはいけません。自分が潰されます。悪意を持った人とは関わらない。これが大前提。見極めは大事です。

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例にあげさせて頂いたお二人には、申し訳なかったです。Aさんの御身体、Bさんのお気持ちが、一日も早く回復する事を深くお祈りいたします。私に勉強させてくれた事に感謝します。人生はまだまだこれからなので、良い方向に行かれる事を願います。