書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

偉そうにしないとラク

 謙虚に生きるのは良い事だ、みたいなことが言いたいのではないのですが、自分を人よりも優先されるべきとか、自分は人より優秀なのだ、とか思わないでいるのは、ラクだなあと改めて思いました。

 心の中では「私は優秀。私が正しい」と思っていて表面的に謙虚を装おう、のではなく、心の中でこそ「私は別に優秀ではないし、正しくもない」と思っているという事。そう思えている時は、人間関係で摩擦が起こらないのです。

 自分が正しいと思っていると、人の話を聞いて腹が立ったりするけれど、自分は別に正しくないし、と思っていると、何を聞いても「ああ、そう」程度にしか感じない。腹が立たない。自分の時間が他の誰の時間よりも貴重だと思うから、待たされたら腹がたつのだけれど、自分をそこまで貴重品扱いしなければ、待たされても腹は立たない。

 装う謙虚、ではなく、本心から「自分は偉くない」と思えれば、ものすごくラクになるなあと思います。なんなら、負けても腹が立たない。言われっぱなしでも平気。見せかけではなく本心から偉ぶらないというのは、究極のストレスフリーな生き方だと思いました。ただちょっと、喜怒哀楽が薄味になってしまうかもしれませんが、年のせいかなんかこうギラギラした高いテンションは疲れてしまうので、薄味ぐらいが今の私にはちょうどいい気がします。

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   先日「若い頃の瑞々しい日々が懐かしい、戻りたい」と書いたのですが、あれも本心。そして今日書いた、「喜怒哀楽の薄さがラクでいい」というのも本心。

 瑞々しい感性で元気よく喜怒哀楽を感じまくる事は、とても楽しいし充実感を感じられる。今でも可能ならそういう日々を送りたい。でも、何せ体が老いてしまいました。若い体には瑞々しいテンションが、老いた体には薄味の感性が、それぞれちょうどいいと感じるのです。

 もう競争心もなくなったし、自己充実もどうでもいい。誰かからどう思われようとあまり気にならない。空を見た時に「きれいだなあ」と思える感性(おこがましいですが)と、家族を支える事に対する矜持だけは、最後まで持っていたいけれど、逆に言えばそれだけでいい気がするのです。今は。