書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「幸せ感」と「わくわく感」。

 「毎日ワクワクしていたら、人生がうまくいく。幸せになれる」という考え方を最近よく聞きます。「『うまくいく』とは、大金を稼いだりといった具体的な自分の願いが叶う事ではなく、自分の心が『ワクワクしている状態』それ自体なのだ」という禅問答のような事もよく聞く。

 これ対して私は、そこはかとない違和感を感じてしまいます。

 『人生うまくいく、幸せである』ってどういう事なんだろう。

 確かに、「自分の願いが叶う事」が幸せの必須要素だとは、私も思いません。願いが叶っても、叶った瞬間に、別の願いが頭に浮かぶもの、、、。人間の欲望にはキリがないですから。「願いが叶う事」を「人生うまくいく」の要素にしていると、いつまでたっても「私の人生心底うまくいっている」とは感じられないと思います。

 ですが、同時に、「毎日ワクワクしている状態」が人生うまくいっているという事だ、という言にも、違和感を覚えます。「私がワクワクを感じるんだから幸せなのよ」というのは、乱暴過ぎるように思うのです。

 人は、一人で生きているわけではないので、私がワクワクを感じる状態が、周囲の誰かを不幸にしている状態である、という事は、ままある事です。世の中の全ての人を幸せにする事なんか絶対に出来ないけれど、「少なくとも、自分の周囲数人ぐらいは不幸にしていない」という事を、「幸せ」の要素の一つに入れておく事は、必要なように私は思います。

 また、「今の自分のワクワク」が、「未来の自分の不幸」の種となる事もまた、少なくありません。その「ワクワク感」の実態は何なのか?を、時に立ち止まってよく見てみる事も、大事だと私は思います。単純な欲を満たす事がワクワク感の源となっている場合、「毎日ワクワク感を追い求める事」は、「欲に流され続ける事」とイコールになるわけで、それは未来の自分を不幸にする事になります。

 上からな感じで書くのもアレなんですが、私も40歳前半までは、ワクワク感を追い求める事で、日々を充実できると考えていました。でも、私がワクワクしてやった事の何一つ、今は残っていません。むしろ、ワクワクしてやった事が原因で、人生を棒に振っていた危険もありました(運よく危険は回避できましたが、一歩間違ったら今の私の状況は悲惨になっていたと思います)。今の私の幸せを支えているのは、「ワクワク感など皆無だけれど、やらねばならないからやろう」と腹をくくってやった事たちです。当時は、それが未来の自分の幸せの種になるとは、全く思っていなかったのですが。

 ところで。 

 今の私にとっての「人生うまくいっている、幸せな状態」とは、ちゃんと眠れて、ごはんがおいしくて、空を見ながら楽しくお散歩できること、です。何か気がかりな事があると、できない事ばかりなので。

 つまり今の私は、「何も気がかりな事がない状態」を、幸せだと感じるのです。また、気分にムラが無い事も、私には大事です。気分のアップダウンが激しい状態は心を消耗します。「淡々と透明で気がかりのない日々」に、私はうっすらとした幸福感を感じます。

  

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広い空にふわっと浮かんで、さらりと流れていく雲。上に乗れそうです。