書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

ここに何かある気がするので掘ってみる

 今日書く事は、他者批判になってしまうかもしれない。他者批判はもうやめようと思っているので、なるのだとしたら困るのだけども。ただ、ここを掘ってみると、大事な何かが見つかる気がするので、今日は例外としてやってみようと思う。

 ある人(Aさん)がいる。結婚して数年で、子供連れて離婚。実家で暮らしているが、実母さんと折り合いが悪い。お子さんが中学になるまでは、外で働いていたが働く事に疲れて無職に。今は細々とアルバイトと、元夫さんからの養育費で生活しているので、実家から出る事ができない。でも最近、お子さんの将来について、とみに実母さんにあれこれ言われるのがうっとおしいので、実家を出ようと考えているそう。

 Aさんのお子さんも発達障害児なので、その繋がりで私は彼女を知っている。と言ってもAさんは、お子さんを病院に連れて行ったり療育を受けさせたり、等はしておられないけれど。

 Aさんと実母さんの関係は、Aさんの言うように、一方的に実母さんが悪いわけではないと私は感じる。何と言っても、Aさんが働いている間、お子さんを赤ちゃんから育て上げたのは実母さんなのだ。今だって、Aさん親子を一緒に住まわせて、三度の食事を作ってくれ、面倒見てくれているのは実母さんなのだ。

 実母さんは、Aさんと真逆の、しっかりした性格なのだろうと思う。だからしっかり年金がもらえる仕事を勤め上げ、年金で出戻り娘親子を経済的に支え、孫をしっかり育て上げる事ができたのだと思う(実父さんはご病気で働けない)。しっかり者だからこそ、孫の将来が心配で、母親としてどう考えているのか、Aさんに問いたださずにはいられないのだと思う。

 でも、Aさんは、何も考えていない。子供本人が好きなようにしたらいい、と思っているそうだ。それでもAさんは、発達障害のお子さんが、高校卒業後は就職すると、そこは絶対にする、と思いこんでおられる(就職が難しい、とか、いったん就職しても長く勤め続けられない、という発達障害児のリアルな現状は無視しておられる)。

 Aさんは、お子さんが高校を卒業して就職したら、実家を出て二人で暮らす、と言っている。実母さんも実父さんも大嫌いなので、老後の面倒をみる気がしない、と言っている。散々お世話になっておいて、それはないんじゃないか、と私は思うけれど、Aさんからしたら、一緒に住まざるをえなくてその年月が辛すぎて、これ以上顔も見たくないのだとか。老後のお世話なんてとんでもないのだとか。

 Aさんは家事(特に料理)ができない人だ。今までは家事全般、実家のお母さんにやってもらっていたが、お子さんと二人暮らしになれば、Aさんがせねばならない。でも、Aさんには無理だ。暮らしていけるのだろうか。経済面では、Aさんのアルバイトの稼ぎでは部屋も借りれないが、Aさんとしては、お子さんが就職して稼いでくれるから暮らせる、と思っているようだ。

 そもそもAさんは、実家の親から逃げたくて結婚し、結婚したら夫から逃げたくなり離婚し、一人で子供を育てるという道から逃げたくて実家に逃げ込み、発達障害児の辛い子育ては母親に任せて「外で働く」という道に逃げ、まとわりついてくる子供に対して「死ねば」等ときつい言葉で関わりを拒否し、「外で働く」しんどさに疲れて仕事から逃げ、今、実家にいて母親からあれこれ言われるのにも耐えられずに実家からも逃げようとしている。

  お子さんは発達障害児だから、物事を色んな側面から柔軟に見る、という事ができない。「子供は祖父母とではなく、親と住むもの」という概念を先に植え付けられてしまうと、そういうものだ、と思い込んでしまう。それが自分にとって幸せかどうか、考えることができない。お子さんは、Aさんに「祖父母の家から出るから一緒においで」と言われたら、当然そうすべきだと思って何も疑わずについていく。本来なら、自分自身の将来を決める大切な就職活動の時期に、引っ越しなどさせられる事にも疑問を感じず、その後の生活がどうなるのか、についても先の予測ができない。そして疑う事ができないので、巧妙な大人がうまく誘導すれば、簡単に頭の中を操作できてしまう。

 自分は親の面倒をみる気がないのに、自身は子供に面倒をみてもらおうとするのは、あまりにも図々しいのではないか。Aさんの行動は、俯瞰で見れば自己中だなあと思われるが、ご本人は全くそうは思っておられない。 

 私は、何でもかんでも我慢すべき、と言っているわけではない。嫌な事からは逃げ出して良いと思っている。でも、嫌な事から逃げたのなら「私は逃げた」と自覚する必要があると思う。Aさんは、ご自身の人生がうまくいかない事を、母親が悪い、元夫が悪い、子供が悪い、会社が悪い、と、全部自分以外の誰かのせいにしているのだけれど、Aさんは、その「悪いもの」から全て逃げているのだ。そこで踏ん張って頑張ったわけではないのだから、それでチャラだ。今現在も被害を受け続けているわけではない。今現在被害を受けている(とAさんは考えている)実母さんだって、実母さんが同居してくれと頼んできたのではなく、Aさん側の都合で同居しているのだ。実母さんには一切罪はないと私は思う。実母さんが悪いと思うのなら、もっと早く、同居を解消して出て行けばよかったのだ。自分の都合で相手の世話になっておきながら、相手が自分の思い通りに対応してくれないからといって、相手を悪者にするのはおかしい。Aさんにはいつだって、出ていく自由があったのに、そこに居続ける事を選択したのはAさん自身なのだから。Aさんは、実母さんの事を「毒親」だというのだけれど、そういうフレーズを発していいのは20才まで。独立しているべき大人が、親のことを毒親だと非難し、自分の人生の責任を親に取らせようとするのはおかしい。

 そんなに仲が良いわけでも親しいわけでもないのに、Aさんのことが気になるのは、一つには、障害児としてちゃんとケアされていないお子さんの事が気になっている、というのがある。と同時に、Aさんの持つ「見たくないものは見ない、目の前の嫌な事から逃げる癖」を、実は私自身も多分に持っているから、ではないかと思う。

 「見たくないものは見ず、嫌な事からは逃げる」そんな生き方をしていたら、人は必ず不幸になる。それを私は分かっていて、それでもやってしまう。

  問題は、Aさんを通して見える私自身の弱さと狡さだ。これをどうにかしていかないといけない。

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 というような事を半年程前に書くだけ書いて、ブログにアップせずに下書きのままで置いていました。その後もAさんの状況は刻々と変わり、とうとう、この秋に実家を出て暮らす家も決め、後は引っ越すだけ、という状況になった時、、。なんと、お子さんが大怪我をされてしまいました。引っ越しどころか、学校にも行けないほどの大怪我で、無事学校を卒業できるかどうかも(出席日数の関係で)危ぶまれる状況。

 正直、神(神社ではなく、宇宙の総合神のほう)の采配はすごいなあと、改めて思いました。こういう事、最近ちょくちょく書いている気がするのですが、以前の私だと、Aさんに、何か否定的なことを言って行っていたかもしれません。「あなた、間違ってるよ」的な事を。でも、他人を批判しない事に決めてから以降は、そういう事は止めているので、Aさんに対しても静観していたんです。そしたらAさんが強引に実家を出ようとされたその時タイミングで、お子さんが大怪我をしてしまった。結果、家を出る事はできなくなった。

 すごいなあ。と思いました。

 本当に、つまらない(私のような)人間が、浅知恵でもってあれこれ言って行かなくても、物事はちゃんとした方向に、ちゃんと進むようになっているのだ、と、改めて分かりました。怪我をされたお子さんは本当に気の毒ですが。。。早くよくなり、学校に行けるようになって欲しいと願います。でも、怪我をした事で、祖父母の家を出る事がひとまず取りやめになって、お子さんとしてはラッキーだったと思います。少なくとも祖父母の家にいれば、経済的にひっ迫する事もないし、食事も取れます。就職がうまくいかなくても、食べるのに困る事はない。落ち着いて、再チャレンジをする余裕がある。「余裕がある」という事は、発達障害児にとって、何よりも必須の条件です。健常者に合わせて作られているこの社会で、発達障害者がいきなり最初からうまく生きていく事はまずもって無理。何度もチャレンジして、失敗し、あれこれ試してみて、自分に合う環境を探しあてるまでに時間がかかるものです。祖父母の家にれば、経済的にその余裕が得られます。

 とはいえ。他人様にあれこれ言って行くことは、まったくもって無意味だということを、本当に今回また思い知りました。

 また、私自身に何か大きな事故や災難が降りかかった時は、私の思い違いを正す目的で起こったのかもしれない、という意識を持つべきなのだと改めて思いました。災難がふりかかると、ついつい被害者面してしまいますが。でも本当は、私が今やっている事やこれからやろうとしている事が、間違っている為に、それを私にストップさせる目的で、災難が起こったのかもしれない。そういう意識を常に持っている、という事は大事だと思いました。