書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

人と人との関係において。

 今日は愛について少し考えていまして、恋愛だけではなく色んな意味での愛ですが。

 少し前に、ある人が、「自分は相手に求めていかないので、(愛される事から逃げているので)しっかり愛されている実感も得られない」と、言ってたのですよね。

 私も、相手に求めていかない方なのですが、愛されている実感はある。。。何故なのかなあと考えて、その人に聞いてみたら、「あなたは愛される自分を認めているからよ」と、大人な配慮に満ちた事を言ってもらい、そうかあ。。。と思いました。

 私は、愛される自分を認めているのか。自分ではちょっと分かりません。。実は、愛される事から逃げている部分は、私にもあるのです。全身全霊でぶつかってもらっても受け止められない。だから、どこかで引いてるというか、逃げている所がある。人と距離を置きたがるというか。

 あと、それとは別に、もともと、私は、他人に対し、何も求めないんです。理想は、ロボットになる事で。対人関係において、何も感じない事を、自分に課しているところがあります。

 本来私は、感じすぎるくらい弱い人間で、だから普通に無防備に生きていると、滅茶苦茶な事になるのです。気合を入れて「感じない」事を自分に課さないと、しんどい。だから基本的に、怒らないし傷つかないし期待しないし求めない。どんな状態でも「ワタシはロボット」と自分に言い聞かせます。ロボットだから、何も感じないぞ、と。
そういう風に生きているので、誰に対しても「愛して欲しい」と求めていかないのです。けれど、多くの場合、愛されていると感じる。

 ふと思ったのですが、コレはある種の錯覚かもしれない。「愛されている」という錯覚。人間関係というのは、そもそも勘違いの賜物ですから、愛されているという実感も、実態とは異なる錯覚かもしれない。錯覚が言い過ぎなら、綺麗な夢、とでもいえるでしょうか。

 人と人との関係において、私は夢を見ている。でも、これが夢だと分かっていれば、どういう明日が来たとしても、恨む事なく悲しむ事なく、生きていくことができる、そんな風に思います。 

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