書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

白黒思想とグレー思想

 「白黒思想」をとても否定的に捉えておられる方がいて、私としては、不本意に感じた、という事を、今日は書きます。他者批判にならないように気を付けながら、考えを深めていきたいと思っています(他者批判は個人的にNG事項なので。どうしても、他者批判になりそうだったら、そこで思考をストップするつもりです)。

 その人の語る「白黒思想」というのは、良く言われる「1か100か」とか「完璧主義」という事ではなく、「何かを右と左に仕分けする時に、完璧に仕分けたいと欲する事」を指しているようでした。つまり、左に白を、右に黒を仕分けたいと思ったら、左に少しでも黒が混じるのが許せない、という事。だから、ある人の中に黒を少しでも見つけたら、問答無用でその人を右(黒側)に仕分ける、という事。そういう性格を、「白黒思想」とその人は語っていて、「白黒思想だと、生きるのがしんどいし、友達も減るし、いいこと一つもないから、グレー思想を身につけなさい」と仰っておられました。

 「グレー思想」とはその方いわく、「左(白側)に多少黒が混じっていても、いいじゃないか。そんなの気にしないほうがいい」という事だそうです。あいまいさを許しなさい、と。そのほうが、人間関係全般がうまくいくし、自分自身がラクになりますよ、と。

 私は、正直、その方の事が苦手なのです。何故かというと、まさにその方が「グレーな人」だから。私自身が多分「白黒思想」なのだと思うのですが、その私から見たら、その方は「いい加減で、言った事を守らない」人、なんですね。イメージで言えば、コウモリのような人。あっちではこう言い、こっちではその真逆の事を言い、考え方に一貫性が無い。白黒思想の私からすると、とても相容れない感じなのですが、だからこそ、「グレー思想」を採用する事を勧めてくるのだと思います。グレー思想であれば、コウモリ的な生き方を肯定できるから。

 その方は、約束を守らない人でもあります。「ちょっと約束を破ったっていいじゃない。ちょっとなんだから、かたい事言わないで」という事なんだろうし、聞かれた事に正確に答えず曖昧に誤魔化して答える事についても、「ハッキリ答えたら自分にとって都合が悪いから答えたくないから誤魔化してもいいじゃない」という事なんだと思うのです。

 とにかく、なんにつけ、その方にとって都合がいいように、いいように、持っていくんですね。で、そうやって、その方にとって都合がいいように持っていく為には、物事を曖昧にしておいて、都合がいい方向に動かせる余地を残しておくわけです。

 「グレーな思考」を採用すれば、その人本人はラクだろうと思います。何でもかんでも、自分に都合よく運べるから。

 でも、相手にとっては、往々にして、都合が悪くなるわけです。そこは無視していいのだろうか、、、、と私は思うわけです。

 確かに、白黒思想は、自分自身にはしんどい思考方法です。白の中に黒は入れない、というのはつまり、約束したら余程の事がない限り破らない、という事だし、相手によってコロコロ意見を変えない、という事だし、物事を曖昧に誤魔化さない、という事だし、聞かれた事にはピンポイントで正確に答える、という事です。自分に都合よく曖昧さを残さない。私には、グレーより白黒のほうが、自分の気持ちがラクです。迷いがないから。

 その人が、グレー思想を勧めるは「誰かを黒だと少しでも思ったからといって、一瞬で切り捨てるのはもったいない」という理由もあります。人にはもっと寛容にならないと、友達を減らすよ、と。

 それも分かるけれども、私は、「あ、この人と私は違う」と少しでも感じたら、その自分の感覚を大事にしたいと思っています。最初の最初に、「あ、違う」と感じた人とは、その後、無理やり付き合っていても、結局ずっと「なんか合わない」気持ちを都度都度感じつづけ、嫌な思いを沢山して、最後には離れる、という事になるからです。合わない人ともなあなあで付き合っていく事で、友達を沢山持つ、という生き方も正しいのでしょうが、私には向いていないと感じます。合わない人とは付き合わない、ほうが精神衛生上いいし、友達は少ない方がラクです。

 長々と書いてきましたが、「白黒思想」だろうと、「グレー思想」だろうと、どちらで生きても、私は構わないと思うのです。どちらが幸せ、どちらが不幸、という事ではないと思うのです。私はグレー思想の人に「白黒思想になりなさい」なんて間違っても勧めないです。

 でもなぜか、グレー思想の人は、他人にもグレー思想になるように勧める、、。

 朝令暮改に抵抗が無い人は、グレー思想で生きていかれたらいいし、私のように抵抗のある人間は、グレー思想にはなれません。それは個々人の根本的な性質の部分だから、変えられないと私は思います。「グレー思想のほうが生きやすいよ。正しい生き方だよ」と言われると、なんでそう言い切れるの?と思ってしまいます。

 人格的な柔軟さとか寛容さというのは、大事だと私も思います。でも、白黒思想で生きていても、柔軟で寛容にはなれます。柔軟で寛容というのは、他者の生き方在り方を否定しない、という事ですから。白黒思想を否定しグレー思想こそが唯一無二の正しい生き方だ、と主張する事は、むしろ柔軟性に欠ける非寛容的な態度だと私は思うのです。

 今日の記事、他者批判になっていないか、かなり心配です、、、。