書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

青山文平さん2冊

 ちょっと気に入ったので(上から目線)、青山文平さんの著書を続けて2冊読んでみました。「鬼はもとより」「つめをめとらば」。

 前回の「遠縁の女」とあわせて3冊読んでみると、さすがに傾向というか、この著者の得意な筋書き、というのが分かってきました。マストなのが、①剣に強い武士が、時代の流れで役方(今で言う事務や営業や企画)の職につき、奮戦する。②薄幸だが賢く美しい女性が出てくる。③主人公の男性はほぼ必ず美形。

 ここに、更に④藩の財政難、⑤駆け落ち話、⑥切腹話、がちょこちょこ絡んできます。なーんだ、単純じゃん、と思えますがそうではなく、緻密な取材を元に書かれているのがよく分かる内容で、言葉選びにも奥行があり、何しろ文章の端々に出てくる作者の信条が興味深いのです。またしても一部抜粋させて頂くとこんな感じ。

「相手に責めを問うな、相手を追い詰めるな、という学びです。この国では『食うや食わず』は比喩ではありません。飢饉でもないのに、食えずに人が死にます。いつしか、人を追い詰めないのが習いとなりました。追い詰めれば、そこに死が口を開けると分かりぬいているからです。ほんとうに貧しい国では、誰もが人に対して、曖昧に、優しくならざるをえないのです」(鬼はもとより)

「いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からずその疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、躰の強い者は心を壊し、心の強い者は躰を壊す」(鬼はもとより)

「こういう話し合いに、輪郭のくっきりした落とし処というものはない。それぞれが立つ側の言い分を語って、語って、語って、語る言葉がなくなっても語って、互いに疲れ果て、もうわずかに声を出すのも嫌になったとき、そこに、結論めいたものが生まれる。それはたいてい、それまでに幾度も出てきた案だ。それをまた、立つ側に持ち帰って、再び顔を合わせ、また、初めにやったときと同じように、相槌を打つのも嫌になるまで語る。それを幾度か繰り返して、もう、なにがなにやら分からぬようになったとき、誰しもが本意とは言わない決着がつく。分かっていても、また幾度経験しても、慣れるということはない。慣れてしまっては疲れない。疲れ果てなければ、決着はつかない」(つまをめとらば)

 読めば読むほど、面白いんですよね。しばらく嵌りそうです。ただ、一つだけこの著者に文句というか、「それはちょっと違うんじゃ、、」と思うところがあって、それは、女性の描き方が「ものすごく甘い」という事。知っていてそう描いているのかもしれませんが。ものすごく女性を美化しているので、「うーん。いや、そんな女はいないだろう」と毎回読んでいて思うのです。

 たとえば、短編集である「つまをめとらば」の中の、「つゆかせぎ」という話に、半娼婦のような女性が出てきます。普段は半端仕事でその日暮らしをし、雨の日は仕事がなくなるので、宿屋に泊まる客に買ってもらって日銭を稼いでいます。その女には二人の幼児がいます。とても可愛がって大切に育てている。子持ちだと知って気の毒になった主人公の男性がその女を買ってみたら、女は嫌がりもせず、むしろ喜んで床に入ってくる。しかも「種を下さい。沢山子供が産みたいから」と言う。

 著者はその女性を、性に奔放で、かつ、母性の豊かな、理想的な女性として描いています。

 が、、、、いますかね、そういう女性って。性に奔放な女で、誰の子だろうと気にせずぽんぽん産む人、というのは、わりといる気がしますが、そういう女性は、母性が貧弱というか、子育てに不熱心というか。子供一人ひとりを幸せにしてやろう、という気持ちが少ない人が多い気がします(完全に私見ですが)。子供を幸せにしよう、と思うなら、そうそう何人もは産めるはずがないと思うのです。

 「つゆかせぎ」で作者は、その女性のことを、不特定多数の異性との性交渉を心から自然に楽しみ、誰の子だろうと気にせず子供をポンポン沢山産む=母性豊かな女性、という風に描いていました。私は、わーこれは無いわ、と思ってしまいました。子供を沢山産む=母性豊か、という公式は、男性の思い込みでしかない、と思います。母性豊かだからこそ、生まれてくる子の幸せを考えてしまって、むしろ子供が産めない、そういう女性すら存在しますから。

 この著者は、現実にはいない、夢のような女性像を描いている気がしてなりません。まあそれが、小説ならアリなのかもしれませんし、時代小説は男性読者が多そうなので、そういう女性像に需要がある、という事なのかもしれません。

 同じ作者の本を何冊か読み進めてくると、作者に対して手厳しい見方をし始めるのが私の癖で、、。そんな私の好みに100%合う事を書いてくれる本なんて無いと分かっているのに、ついやってしまいます。

 私が変な指摘をしてしまいましたが、この本が面白いという事実は変わりません。