書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

ハッタリで生きるのはしんどい

 これは私の、常日頃から感じる所感なのですが、妙に人に突っかかってきたり、根拠のない持説を曲げなかったり、人情味のある話にやたら泣いたり、という人は、ハッタリで生きているように思います。

 誰しもがいつもいつも自信満々に生きていられるわけはなく、先の事が分からず、今決断すべき事にも迷い、、、というのが人間で、それを自らしっかり自覚し認めればいと思うのです。分からない事は分からない、出来ない事は出来ない、不安な事は不安、自分の失敗は失敗、自分が間違っていたら謝る、人より優越している部分が何もないなら何もない、自分は何者でもなければ何者でもない、それを静かに噛み締める。それが人生じゃないですかね。

 仕事では、どうしてもハッタリでやらねばならない面もあると思いますが、それを当たり前とせず、ハッタリは最小限になるように心がける事が大事だと思います。以前医師の友人が、「仕事場ではハッタリ9割だよ」と言っていましたが、だとしたら、それは患者に見破られているはずで、本人も苦しいと思います。「大丈夫かな、この先生、、」と疑われながらの診察で、芯から信頼されていない中での治療は、うまくいくものもうまくいかなくなるからです。彼は、「本当に簡単な事を、何度も聞いてきたり、丁寧に説明してもどうしても分かってくれない患者が多すぎてしんどい」と言うのですが、それは、ハッタリ診療をしているから、ではないかと私は思ったのです。その医師を信頼できないから、患者も何度も確認したくなるのです。彼は人としてはとても良い人で、人間性は豊かなのに、どこでどう間違ったのか、「仕事とはハッタリ」という考えに染まってしまっていて、気の毒だなあと思いました。

 「自分に芯から自信がないのに、他人には優越していたい」と思う人が、ハッタリ人生を選ぶのだろうと思います。自信が持てない自分でそれで由、と思うなら、ハッタリかます必要はないし、他人に優越できるだけのモノを持っているならハッタリの出番はないからです。優越できるモノがないのに、優越したい、それがハッタリになるわけで、相当しんどいことです。

 定番の例を挙げるなら、あまり美しくない女性ほど自撮りをSNSでアップします。あまり豊かでない人ほど、裕福自慢をします。あまり充実していない人ほど、幸せ自慢をします。ハッタリです。例えば、トップカーレーサーと結婚し城持ちの大富豪となり男女三人の優秀なお子さんにも恵まれた後藤久美子さんは、間違っても自撮りを自慢げにアップなさいませんし、裕福自慢も垂れ流しません。むしろ自分のプライベート情報は極力外には出さない。本当に「持っている」人は、「持っている」ものをむしろ隠すのです。

 「持っている」と外に向かって不必要に発言しているそれは、多くはハッタリなのだと私は思うし、そういう人生はただただしんどいだろうと思います。しんどいから他人に突っかかったり、持説を曲げる事ができなかったり(持説を曲げるのは体力がいります)、人情味のある話の主人公に自分を重ねがち(ヒロイン気質)なのだと思うのです。ヒロイン気質の人(男女問わず)は、往々にして、ハッタリが多いように思います。ハッタリばかりだから人生がどんどん悪くなっていき、益々ヒロイン気質に染まっていく、というからくりがあるように思うのです。

 とても大きな問題は、ハッタリで生きている人は、自分のハッタリが、他人にはバレていないと思い込んでいる事です。確かに、他人のハッタリに気が付かない人もいます。でも、多くの人は、他人のハッタリが見えます。これはハッタリだな、と明確に分からないまでも、なんとなくおかしい、信用できない、不自然、気持ち悪い、という感じを覚えます。でも、ハッタリを言っている本人は見抜かれていないと思い込んでいます。

 知人で、明らかに日々ハッタリで生きている人がいるのですが、その人「私は自信満々で強気な人間に思われているけれども、実際はそうではない」と言っていました。周囲はその人のことを、気の弱い神経質な人だなあ、と思っていたのですが。ハッタリばかりで生きていると、自分が他人からこう見られたい、という自分像と、実際の自分像が、食い違っていくのだと思います。というか、食い違っているから、ハッタリで生きたくなるのかもしれません。

 ハッタリで生きている人は、そこに妙な美学のようなものを感じているようにも思います。ハッタリ=強がり=美学、、みたいな。それ、勘違いじゃないかな。。。小説のネタならいいですが、実際の生身の人生でやってしまうのは、自ら不幸になりに行くようなものではないだろうか、、。まあ、私の個人的な意見ですが。

 自分の正味の姿(何者でもない情けない小さい人間。生きている価値などないかもしれない小さい人間)を、しっかり見つめる事、誤魔化さず見つめる事は、とても勇気のいる事で、本当に強い人にしか、できないと思います。

 ですが、人生からハッタリの部分を極力減らして、できるだけ正味の自分で生きる事が、ラクに生きていく秘訣だとも思うのです。私自身、できるだけそうありたいと願っています。