書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

霊格に関する補足:病気について(追記あり)

 前回、霊格が上がる(波動が上がる)と体が丈夫になっていく、とか、祈願が叶いやすくなる、と書きました。また、間違った事をしたら、それを気づかされるような事が(宇宙のしくみで)起こる、と書きました。

 では、病気や怪我をした人は霊格が低いのか、不幸事に見舞われた人は人生で間違った事をしたからなのか、というと、単純にそういう話でもないと、思っています。

 病気や怪我や、不幸事に見舞われる理由は、3つあると思います。

①生まれる前に、チャレンジしようと自分で決めてきたケース。

 生まれる前の魂は、どんな人生を送ろうかあらかじめある程度計画をたてるので、その時「今回の人生では〇〇という病気になろう、こんな怪我をしよう、こんな不幸に遭おう、それでもくじけずに強く生きる事で、今回の人生でぐっと霊格を上げよう。ちゃんレンジしよう」と、人生計画として決めてきた場合があります。

②宇宙のしくみ(宇宙神のことで、神仏ではない)の差支配で、なるケース。

 これは、その人の行いや気持ちの持ち方が間違っている事をその人に知らせ、改めさせる目的です。病気や怪我や不幸事のおかげで自分の間違いに気づければ、霊格を落とさずにすみます。気づけなければ、同じような事が繰り返し起こります。それでも気づけなければ、霊格は下がり続け、場合によっては死んだ後地獄に行く事になります。

③たまたまなってしまう、というケース。

 これはどういう事かというと、たまたま天災にあってしまう、という事と同じです。天災がなぜ起こるのかといえば、物理的な調整の為です。それと同じで、物理的な調整の為に病気や怪我や不幸事が存在していて、それにたまたま罹ってしまう遭ってしまうというケースです。また、悪いモノに憑かれた場合にもなる事があります。これらに関しては、波動を上げていると罹りにくいわけなので、波動を上げる(霊格を上げる)事で防げる場合があります。

 

 というわけで、不幸事に見舞われた人を指して「罰があたったのだ」と決めつける行為は、間違っている、という事になります。そうかもしれないし、そうではないかもしれないからです。本人以外の人間には絶対に分からない事です。本人が分かる事だけがこの現象(不幸が起こるということ)の本意だからです。他人の不幸事を見て「自業自得だ」とか大上段に決めつける行為は、不合理というか、まったく筋違いで愚かな行為だと私は思います。

 同時に、自分が不幸に遭った時に、必要以上に自責の念にとらわれるのは間違いだ、という事も言えるわけです。たまたまの場合もあるし、あえて人生設計として選んできた場合もあることを考慮し、自分はどのケースなのかという事を、考えてみればよいのです。繰り返しになりますが、それは全て本人が考えることで、他人が決めつけることではありません。

 今現在病気や怪我や不幸事で苦しんでおられる方がおられたら、このようにその原因は様々なので、決してご自身の霊格が低いからだ、と決めつける必要はないと思います。むしろ、霊格を上げようと高い志を持って生まれてこられた魂なのかもしれません。

・・・・(ここから追記)・・・・

 そう言われると、「不幸など望んでいない」と不本意に思われる方もおられるだろうと思います。不本意というか、腹を立てられるというか。そもそも私自身が、とてつもなく育てにくい発達障害児を授かり、子育てに苦しんでいた時、発達障害児など望まなかった、健常児が授かりたかった、と何度も思いました。子育てに疲弊し、先の見えなさに絶望し、自殺を何回も考えた時です。発達障害児の親になる事を、本当に私自身が生まれる前に計画してきたのだろうか、と疑いました。

 ですが、子育ての最悪期を超えて、今、なんとか灯りが見えてきた場所に到達して、勿論これからもしんどい事には変わりはないわけですが、それでも、一時期のような最悪の状態は終わった事を実感してみて、今は、もしかしたら、、、、と思わないでもないのです。もしかしたら、私は、発達障害児の親になる、というチャレンジを、計画して生まれてきたのかもしれないな、と。

 息子は息子で、発達障害児で生まれる、というチャレンジを計画して生まれてきたのかもしれないな、と。

 生まれる前におそらく、私と息子で(というか二つの魂で)相談したのだろうと思います。「じゃあ、私が発達障害児であるあたなの親になるわ」「僕がその発達障害児になるよ、お互い力を合わせてこのチャレンジを成功させよう」と、生まれる前の二つの魂が、相談して決めてきたような、そんな感じがするのです。スピっぽくて嫌ですが(私はスピが苦手です)、そんな魂の記憶がぼんやりあるような気がするのです(気がするだけですが)。あちらの世界では時間は3次元(一直線)には流れないので、そういう事もありうるなと思うのです。

  計画ですから、当然、計画倒れになる場合もあるわけで、チャレンジが失敗する事もある。それはそれで、また次回チャレンジすればいいわけで。「不幸など望んでいない」と本気で思う場合は、今回の人生ではチャレンジ成功は諦めて、なんとか生き抜く事を優先されたらいいのではないでしょうか。それもアリだと思います。