書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

霊格を上げる私なりの方法

 ずっと「霊格を落とす」ことについて書いてきたので、今回はその逆、「霊格を上げる」方法について、書きます。いずれにしても、私の個人的見解である、という事をご了承ください。

 霊格とはつまり、「魂」の格という事で、生きている状態で知覚できる魂とは「気持ちの在り方」の事です(と私は思っています)。

 ではその「気持ちの在り方」は、どう在ればいいのか、ということですが。

 「良心」で在ればいい、と私は思っています。

 大きな事も小さな事も、これやったほうがいいな、これはこういう風に考えるべきだな、良心がそう判断する通りに「思う、考える」こと、それが、霊格を上げる気持ちの在り方だと思うのです。

 (逆に言えば、良心に反する事は、霊格を下げることになるわけですが、今回はそっちではなく「上げる」方を書きます)

 良心に従う、というと、何か特別「他人に感謝されるような良い行いをする」べきと思いがちです。人を助けるとか、寄付するとか、支えるとか、もちろんそれは大事ですが、それだけではないと私は思うのです。

 たとえば、人から親切にされた時、その親切を断らずに受け取る事も、良心だと思います(私は苦手なので自戒をこめて書いています)。つまりそれは、他人が良心的な行動をする協力をしてあげた事になるからです。心から「ありがとう」と言ってあげると、相手の霊格の向上を助けてあげる事になります。

 とても自分が苦しい時、追い込まれた状態の時、「自分がこれだけ苦しいんだから、ちょっとぐらい自分勝手してもいいよね。他人に当たってもいいよね。他人の苦しさを無視してもいいよね」と思いがちですが、そこを耐えること、それも良心です。特別良い事をしなくても、自分がしんどい時に悪い方向へ行かないようぐっとふんばる事、それだけで、というか、それはとても大きな「良心」だと私は思います。例えば生まれつきの難病を患っておられるのに、他人に負担をかけないように、一生懸命自分を律して強く生きておられる人がいます。我儘になっても全然おかしくないような状況で、そうはならずに頑張っておられる。これはとてつもない「良心」で、大きく霊格を上げる行為だと私は思います。

 他人が苦しんでいるのを見た時、自分の心も痛める事、ああ苦しそうだなあと自分のことのように感じ、なんとかよくなってくれるといいなあと願うこと、これも良心です。この時、わざわざその人に「よくなってくれるように願っておいたわよ」などとおしつけがましい事は言ってはいけないのです。苦しんでいる相手にさらに、こちらに感謝するという負荷まで負わせる事になるからです。

 他人から嫌な事を言われたりされた時、言い返したいやり返したい気持ちになります。自分の行動を他人に邪魔されたり、自分のやった事を批判されたりケチをつけられても、同じように不快に思い言い返したい気持ちになります。ですがこういう時も、心の中で「良心」を前面に出せば、そういうことがいかにバカバカしい事か自然と分かるのです。言い返さない、やり返さない、というのも「良心」です。

 ほんの小さな事でも、「ああ、これは他人に迷惑をかけるな」と思うことはやめること。たとえば、狭い道を歩いていて、向こうから人がやって来る。二人並んではすれ違えない。このまままっすぐ進んだらいずれぶつかる。という時、自分が止まらなければ、相手に止まってもらう事になります。相手に迷惑がかかるわけです。こういう時、ごく自然に無意識に自分が止まってあげる事、これも「良心」だと思います。

 スーパーで使い終わったカートを乱雑に放置するのではなく、次の人が使いやすいように列に戻しておくこと。手にとった商品を乱雑に戻すのではなく、きれいに戻すこと。それも良心です。

 地味なことですが、自分の周囲の人が不快にならないよう、快適でいられるよう、身辺をきれいにしておく事。これも良心です。自身の身を整える事も、環境を整えること(掃除など)などです。やって当たり前と思われていることですが、だからこそ日々滞りなく続ける事は、良心の力が必要です。

 「良心」を常に心の真ん中に置くこと。それが霊格を上げる「気持ちの在り方」だと私は思います。

 霊格を上げたら、どうなるの?という事ですが。

 まず、波動が上がるので、低い波動のもの(悪霊など)が憑かなくなります。また、波動が上がると免疫も上がるので、体も根本的に強くなっていきます。また、波動が上がると高い波動の存在と繋がりやすくなるので、神仏の気配(や場合によっては声)を感じる事ができるようになります。

 神仏の波動に近づくので、不安がなくなり、心が平安になっていきます。

 また、神社仏閣に行った時に、祈願が叶いやすくなります。

 また、死んだ後、迷わずまっすぐ成仏でき、その後に進むコースもいくつかから自分で選ぶことができます。

 今思いついたのはこのぐらいですが、多分、まだまだ沢山あると思います。思い出したら追加で書いていきます。

 ところで。早い話、別に上に書いたような「霊格を上げる」ことは、したくなければしなくてもよいのです。霊格を上げることをしなくても、前回までに書いたような「霊格を下げること」をしなければ霊格は下がりません。現状維持です。

 ただ、霊格を下げる事を一切しない、というのは困難です。だから、霊格を上げる事をしないと、生きているうちに徐々に霊格は下がっていきます。気が付いたらどん底にいた、というのは、ちょっと嫌かなあと個人的には思います。

 人間には肉体があり、肉体そのものが煩悩なので、魂が肉体に入ったと同時に私達は煩悩を背負わされています。煩悩=「慢」。自分さえよければという気持ち、他人よりも優越したいという気持ち、見下されたくないという気持ち、私って凄いのよと言いたくなる気持ち、他人の慢を見ると不快になる気持ち、それが「慢」です。

 「慢」を背負いながら、なんとか「慢」をコントロールする、それが「霊格を下げない」という事です。

 一方人間の魂は、「良心」を持っています。魂が肉体に入っても、「良心」はなくなりません。いかに心を「良心」で満たすか、それが「霊格を上げる」という事だと思います。

 気持ちの前面に常に「良心」を置き(意識を良心に置き)、ちょくちょく出てくる「慢」に振り回されない。そういう生き方をしていれば、霊格は自然に上がっていくのではないでしょうか。人生は、「霊格上げ」ゲーム。そう思えば、「きっちりやらないと!」とガチガチにならずに、できる限りでいいから頑張ろう、やってみよう、という風に、気楽に構えられる気がします。

 あと、、、他人の霊格のことはその人の問題なので、手出しできない事も知っておくべきかなあと思います(保護すべき身内は別です)。私達の魂は、一つひとつが独立しているので、他人の霊格が上がったから(下がったから)、私の霊格が下がる(上がる)とか、ないわけです。 他人の行動に何か言いたくなる時というのは、他人の慢を指摘したいという自分の慢です。人間はそもそも「慢」を持った存在ですから、人間が慢ゆえの行動をするのは、ごくごく自然な事で、不思議でも異様でも特別でもなんでもありません。他人の慢を指摘していたらキリがないです。自分にも慢がありますから、他人の慢を指摘したら、自分の慢を指摘され返されます。慢の指摘合戦が勃発します。餓鬼が嬉しがるだけです。

 他人の慢を見たら「慢だなあ」と流す、苦しくても流す。一方、自分の慢については、流さずしっかり見て、改善していく、そんな感じいけるといいなあと思います。