書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

霊格を落とす私の悪い癖②「待てない」

 霊格を落としてしまう私の悪い癖は、まだまだあります。全部は書けないですが、その一つは、「待てない」癖です。

 私はとにかく「待つ」という事が極端に苦手で、待ちたくないが為に、いつも無意識に早歩きになり、時には人を押しのけてでも「我先」に行こうとします。待たされる状態になると、極端に機嫌が悪くなり、私を待たす相手をとても恨みます。

 これをやめたい、とずっと思って来ました。

 それが、先日下鴨神社に行った時に、「あ、やめよ」とパッと方向転換できたので、今日はその事を書きます。

 まずこれを先に書かないといけないのですが、私は自分が「待てない人間である」理由を、ずっと長い間、育って来た環境のせいにしていました。ブログにも書きましたが、私の姉は時間を守れない人で、1時間2時間遅れる事は当たり前、時に4時間5時間待たされる事もあり、また、母はそういう姉をあまり叱らず、母自身もあまり時間厳守を重視しない人だったので、実家にいた頃の私は幼い頃からずっと、常に「誰かを待っている」状態で育ちました。私が「待てない人」になったのは、そういう「過剰に待たされる環境」で育った事による、アレルギー反応だと、自分ではずっと思っていました。

 ところが。

 子供を産んで育てているうちに、「あれ?」と思うようになりました。

 私の子供は発達障害児で、何をするのもスローです。とにかく時間がかかる。しかも発達障害児に禁句なのは、「早くしなさい」という言葉。急かすのは絶対禁止です。忍耐強く励ましながら見守り続けないといけません。更に、日常的な事だけではなく、根本的に、息子は発達がとてつもなく遅かったのです。例えば、初めて立ったのは1歳半です(早い子だと生後8ヶ月で立ちます)。言葉らしきものを発したのは3歳ですが、実際に会話が成立し始めたのは小学校に入ってから。子供の発達というのは、子育てにおける最上の楽しみといっても過言ではないわけですが、私の場合、それがなかなか得られなかった。待って待って待って待って、待ち続ける日々。

 あれ?です。

 私は、成育環境のアレルギーで「待てない人」になったのでは、ないのではないか?と気づき始めました。

 私は、もともと「待てない」という悪癖を持っていたのです。待ちたくないが為に、我先に人を押しのけて生きていたので、多くの人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせていたのだと思います。それで、宇宙神の仕組みで(神仏ではない)強制的に気づかせる為に、「待たねばならない状況」を与えられたのではないか、と気づきました。

 だから、ああいう姉で、ああいう母だったのです。でも、彼らとの日々でも、私は自分の「待てない」癖を直すことができなかった。そこで決定打を与えられたのです。それが、息子です。

 姉や母に対しては、待つ事が辛すぎてしんどかった私ですが、さすがに息子に対しては、「待ってやらねばならない」と自然に腹がくくれました。これは多分私の良いほうの性格なのですが、責任感は強いのです。なので、子育てしていくうちに、少しづつ以前よりは「待てる人」になっていきました。

 それでも、標準よりは遥かにせっかちで、「我先」癖は抜けません。自分でも嫌になっていました。やめようと思っても、ついつい人を追い抜かし、先へ先へと急いでします。待たなくていいように、人を押しのける。この醜い癖。

 そして、先日の下鴨神社参拝です。

 (途中、汚い描写があるので、お食事中の方などはご注意ください)

 京阪特急で行きましたので、特急電車に乗る前に、駅でトイレに行くことにしました。トイレに向かう時にはすでに早足です。トイレ混んでませんように、と願いながら行ったのですが、やはり列ができていました。そういう時、私は障害者用トイレを使わせてもらう事に勝手にしています。よくないことだと重々承知なのですが、とにかく待ちたくないからです(我ながら本当に嫌な人間です)。京阪のトイレでも、列を確認し、すぐに障害者トイレへ向かいました。「空き」となっていました。ラッキーと思ってドアを開けたら、、、、、

 今思い出しても気分が悪くなるのですが、中は悲惨なことになっていました。詳細は省きます。とにかく、見たこともないほどの汚れ方、誰がどうやってここまでやったの?と恐ろしくなるほどの気持ち悪さでした。一瞬見て、すぐにドアを閉めました。胸がドキドキしていました。うわ、、、吐きそう、、、、と思いました。

 気を取り直して、トイレの列に並びに行きましたが、その時、ちょうど入って来る人がいて、私とその人は並ぶようにしてトイレに向かいました。書いていて情けないのですが、私はその時も「我先」癖が出て、その人を押しのけるようにしてめちゃくちゃ早歩きでトイレに向かい、澄ました顔でその人の前に並んだのです。胸はさっきのショックでまだドキドキしています。それでも順番がきて無事にトイレは澄ませ、特急に乗ったのですが。

 特急に揺られながらさっきの事を思い出すでもなく思い出していて、私は本当に自分が嫌になっていました。待ちたくないが為に使っちゃいけない障害者トイレを使おうとして、えげつない汚れを見てしまった事は、明らかに何かからの注意喚起だと感じました。本当にそれぐらい信じられない汚れ方だったのです(お食事中の方、申し訳ありません)。あれほど酷いものを見せられても、それでも私は「我先」癖を止めず、その後入って来た人を押しのけて先に並んだのです。どんだけ鈍感なのでしょうか。

 もう、やめよう、と思いました。もう、こんないやな気持ちには、二度となりたくないと思ったのです。

 もう「我先」はやめよう。これからは「お先にどうぞ」でいこう、と決めました。英語なら「go ahead」もしくは、「after you」です。そういえば、アメリカに住んでいた時は、これらの言葉が自然に使えていたのです。アメリカ人は個人主義ですが、のんびりした人も多く、先を他人に譲る事がふつうに自然にできる人達だったので、あちらでは何故か私ものんびり出来ていたのです。日本に帰ってから、また、もとのせっかちに戻ってしまったのですが。

 とにかく、「お先にどうぞ」です。これからは、これ一本でいこう、と決めました。

 そして下鴨神社の帰り道です。また特急に乗る前に、トイレに行きました。ゆっくり歩きました。「お先にどうぞ」と言おうと決めていました。が、トイレは人がおらず、すいていて、待つ必要なし。。まあ、そういうもんですよね。特急も、出町柳駅が始発なので、人に譲ろうにも席があまりまくっていて、ゆっくり行ってゆっくり座れてしまいました。

 あれから一週間近くたちます。「お先にどうぞ」を守って暮らしています。まだ気持ちが若干逸る時があるのですが、体はゆったり動けています。気持ちも常にゆったりできるようになるようになるといいなと思っています。