書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

霊格を落とす私の悪い癖「人を責めたくなる」

 私には、「ああー、これは霊格を落としてしまうな」という心の癖があります。それは、「他人を責めたい気持ちになること」です。

 いつもいつも、ではないし、誰でも責めたい、というわけでもないのですが、苦手だと思っている人にあまりにもイラッとさせられると、「なんなん!!それどういうつもりでやってるん!?」と言いたくなるのです。

 これはもう、確実に霊格を落とすんですよね。自分でも分かっていて、なかなかやめられなかったんです。それが、最近ちょっとしたコツで、減らす事ができるようになったので、それを書きたいと思います。

 ちょっとしたコツ、と書きましたが、説明は長いです。結果的には「ちょっとしたコツ」なんですが、それを説得力をもって説明しようとすると、ロングストーリーになります。。。

 まず、神仏が人間を責めるか?という事ですが、責めません。注意もしません。そこに極悪非道人がいたとしても、神も仏もスルーです。何も言いません。関わり合いになりません。なれません。何故ならば、悪い人間というのは低い波動を持っているので、神仏の高い波動とは合わないからです。波動が合わないので、関わり合いになれないのです。人間が悪い事、間違った事をしている時、その人は低い波動を出していますから、神仏は関わりません。スルーします。

 でも現実問題、悪い事をしたら罰があたった、という例は実際に多くみられますが、これは神仏がやったのではなく、別の存在(宇宙神というか、宇宙のしくみというか)がやっている事で、これについては過去記事に書きました。(宜しければ↓) 

oinor-i.hatenablog.com

 

 神仏は、人間が良い事をすれば、「それは良い事だ」と誉めてくれます(聞こえる能力のある人には聞こえます)。何かに悩んだ人間が神仏に尋ねたら、答えてくれます(聞こえる人には聞こえるし、聞こえない人にも分かるような現象を起こしてくれます)。そうやって、人間に親切に関わってくれますが、人間が悪い事をした時はスルーです。スルーというか、早い話、見捨てます。間違った事をした人間に対しては、神仏は手出ししないのです。

 じゃあ、間違った事をした人は、自分が間違っているとは気づけないじゃないか、とか、悪い事をした人は、悪い事したもん勝ちじゃないか、と思うかもしれませんが、そうではありません。

 人間が間違った事をしたら、いずれ必ず「宇宙神(神仏ではない)」の力で、それが間違いだと分からせられる事になります。そういう事態が必ず起こります。一度で分からなければ、何度でも繰り返し起こります。人間が自分の間違いに気付くまで、分かるまで続きます。

 平らに言えば、人間に、自身の間違いに気付かせるのは、神仏の仕事ではなく、「宇宙神」の仕事なのです。また、宇宙神によって何度も間違いに気づかせてもらっても、それでも極悪非道をやめない人は、波動が落ちまくってしまいます。餓鬼のレベルです。そうなると死後、餓鬼によって地獄へ引きずられていきます。波動の低さが合っているのでそうなるのです。高い波動の神仏は助けません。波動が合わないので、関わりを持てないからです。

 また、「責める」という能動的なことではなく、誰かに何かをされて「仕返ししたくなる」「恨みに思う」というような受動的な事の場合でも、神仏は、しないんですね。どんなに失礼なことを言われてもされても、スルーです。関わらない。例えば、境内で犬の散歩をしている人がいたとします。これは本来神様にとって失礼な行為なのです。神社というのは神様の家のようなものですから、そこで犬に糞や尿をさせる行為はとても失礼です。ですが、犬の散歩をしたからといって、神様から罰があたる、というような事はありません。スルーされます。ただ、神様の下で修行している眷属から怒られる(眷属は神様ほど高い霊格ではないので人間を叱ります)、という事はありますから、神仏に対して失礼なことはやめるべきなのですが、やってしまったからといって神様から直接怒られる、罰を与えられる、という事はないのです。 

 神仏は人間を責めません。責めずにはいられないような低い波動の人間とは、繋がりません。スルーです。それは、神仏が低い波動とは関われないという事情もあるし、低い波動は餓鬼や地獄や悪霊の方の管轄だからです。

 であれば。

 誰かの間違いに対して、責めたい気持ちが湧いてきた時、私はそれが神仏の管轄か、餓鬼地獄の管轄か、どちらだろう?と考えてみる事にしています。

 誰かの間違いを責めるたくなる時、その行為を担当しているのは餓鬼地獄である、と思い出せば、自然にやりたくなくなるからです。餓鬼地獄と波動として繋がってしまうのが嫌だから。

 これが、私なりの「人を責めないコツ」です。

 大事なのは、「人を責めない」という行為そのものではなく、「人を責めたいという気持ちにならない」という心の状態のほうなので、ただ単に行動として「責めない」を実行するだけでは駄目なのですね。「責めたい」という気持ちを持ったまま、それを実行に移さないように我慢する、のでは、駄目なのです。「責めたい」という気持ちそのものを消さないといけない。

 誰かにイラッとした時、人を責めるという行為は神仏の仕事ではない、餓鬼の仕事だ、という事を思い出す。それだけで心がサーッと平常心に戻って、「あ、責めるのは私の仕事じゃなかった。餓鬼がやってくれるんだった」と思え、責めたい気持ちが消えるのです。

 さらに追加するなら、神仏の波動と繋がる行為は、誰かを責める行為ではなく、誉める、支える、助ける、という行為なので、そこに思いを至らせれば、誰かを責めたくなる気持ちは、完全に消えます。やるべき事のほうに目が向くからです。

 悪い癖が止められない時、それが神仏サイドに属するものなのか、餓鬼サイドに属するものなのかを見極めれば、私の場合、なんとか止めることができます。また、意思の力では難しい時は、私は、本を読める環境なら、桜井識子さんの本を何でもいいから読む事にしています。何度も繰り返し読んでいるのに不思議なのですが、やっぱり集中して読んでしまって、気が付いたら誰かを責めたくなっていた気持ちを忘れています。

 

 

 

*文中に、「神仏の声が聞こえる人」に少し触れましたが、こういう方々は、とても多くの修行をこなして自らの波動を高めた方です。いくら霊感が強くても、普通の波動レベルでは神仏とは波動が違い過ぎて声が聞こえるまでには至りません。私も勿論、神仏の声は聞こえません。時に、「私は神仏の声が聞こえるから助けてあげよう」と言って近づいてくる人がいますが、その人が本当に神仏の声を聞いているのかどうかは、だから、その人が高い波動の持ち主かどうかを観察すれば良いのではないか、と私は思っています。高い波動、高い霊格の持ち主は、佇まいがまろやかで我を感じさせずどこまでも静かです。私もいつかそうなりたいものですが、あと何十回輪廻転生を繰り返したら到達できるのか、、、。先は長いです。