書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

死んだ後、どうなるのか不安な方へ。

 神仏関連のことを書いていて、ふと思い出したので、これも書いておきます。

 死んだ後、自分はどうなるの?と漠然と不安に思っておられる方に向けて書きます。私も漠然と不安だったので、これを聞いて安心したので。これは、私が信頼しているお坊さんにも聞いたし、同じような事を桜井識子さんも書いておられました。 

 信じる信じないは別として、、、一応、死んだ後の魂の行方は、こういう風になっているそうです。

 ①肉体が死ぬ→②魂が体から出る→③魂が行くべき所へ行く。

 死んだ後どこへ行くか、その選択肢は沢山あって、神様修行に入る、仏様修行に入る、もう一度人間として修行する、地獄へ行く、等々。生きている間に十分な修行を積めた魂は、自分で自由に選択できる(神様仏様修行コースか、輪廻転生コースか)けれど、生きている間に修行が積めなかった魂は、自動的にまた人間として修行するコースになるそうです。また、生きている間に極悪非道を繰り返してしまった魂は、地獄に行きます。

 地獄へは死んですぐに引っ張られていくそうですし、その場合は、神仏は勿論、守護霊やらご先祖様やらも救いの手は出せないそうです。地獄の低い波動の世界には、神仏や守護霊などの高い波動は届かないし、一般のご先祖様には救う力はないからだそう。

 で、地獄以外のコースに行く予定の魂は、すぐに昇って行く場合もあるけれど、それはよっぽど高い霊格の魂だけで、普通は、一旦この世と、あちらの世界との境界に留まるそうです。そして49日後に行くべき所へ行く(成仏する)そうです。この時、自力で成仏するのは中々困難だそうで、僧侶による読経がとても役に立つのだそう。だから何はなくとも49日の法要だけはやってもらったほうがいいそうです。別に招待客を呼ばなくてもいいから、御位牌をお寺に持って行って、読経してもらうだけでいいから、やってもらったほうがいいそう。

 というのも、死んだ後、自分の行くべき場所が分からない状態になる魂も、結構いるそうなのです。真っ暗な中に、ぽつんと自分一人、という状態になるのだそう。そうなったら、焦らず、とにかく、光の点を探すこと、だそうです。想像以上に小さい、シャーペンの芯の先くらいの光の点かもしれない(人による)ですが、とにかく絶対にあるので、信じて探すのだそう。その光の点があちらの世界に繋がっているので、その光の点に向かって歩いていけば、あちらの世界に行けるそうです。

 ちなみに、あちらの世界では普通11年滞在してから、また生まれ変わるそうですが、これも人によるのだとか。また、この11年というのも、あちらの世界の時間はこちらとは違うそうです。あちらの世界では時間は一直線には流れていないそうなので。

 話を戻しまして。死んだ後、暗闇に一人ぼっちになったとしても、その時、僧侶による読経があると、光までの道筋が見えて光が見つけやすくなるのだそうです。49日を過ぎると成仏するのが俄然難しくなるし、49日よりかなり早く法要してしまうとタイミングがあわないことがあるので、できるだけ49日法要は期日通りにやってあげるのが良いそうです。

 で。死んだ後の49日間、この世とあちらの世界との境界線にいる時に、真っ暗闇な人もいれば、暗くなくて道がハッキリ見える人もいるし、輝くような明るい世界の人いるし、49日を待たずすぐにあちらの世界に登っていく人もいる。それは、その魂の霊格や生前の行い、信仰心の度合いなどによって、人それぞれ異なるのだそうです。

 信仰心の度合いと言っても、宗教について論理的に詳しく知っているから良い、というものではなく、むしろ宗教的には何も知らなくても、ただ神仏の存在を信じること、つまり、死後の世界を信じている事が大事だそうです。というのも、死んだらそこで終わり、魂なんか存在しない、と強く思い込んでいる人は、その思いが邪魔をして、あちらの世界に繋がっている光を、みつけずらくなるから、だそうです。

 また、霊格を落とさない、という事も大事だそうです。こういう事は、理論理屈で分かっているというよりは、自分の心の在り方で実行している、という事が大切なようです。

 信じる信じないは別として、知っておいたら少し安心かなと思って書いてみました。万が一、死後真っ暗闇になって光が見つけられず、しかも49日法要もやってもらえなかったとしても、絶対に焦らず、お題目を唱えたり、阿弥陀仏などの仏様を頭に浮かべたりすると、光を探す助けになるそうです。お題目はもう、「南無阿弥陀仏」で良いそう。これなら私も忘れずにいられそうなので、聞いた時ほっとしました。キリスト教の方は、イエス様の顔を思い浮かべたり、キリスト教のお祈りをしても良いと思います。そういう事が、「死後の世界はない」という生きていた時の思い込みを覆す力になるのだと思います。

 とりあえず書いてみましたが、なんか、宗教がかってうさんくさいと思われるかなと思うとちょっと嫌なんですが、、、しかししかし、私自身がこれを聞いて「聞いて良かった」と思ったので、知りたいと思っている人に届くといいなと思って書きました。

 

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安心が何より、、。