書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

下鴨神社に参拝

  神社仏閣巡りを趣味にしようと決めた事は、以前に書いたが、子供の学校が始まったのと少し涼しくなったのとで、早速スタートする事にした。これも以前に書いたが、本当は最初に、四国の実家所縁のお寺に行きたかったのだが、そこへは母も一緒に行くというので、もう少し涼しくなってから行く事にして、まずは近場の京都から。

 桜井識子さんの著書を読んで以来、ずっと行きたいと思っていた下鴨神社から始める事にした。

 京阪出町柳駅を降りた所は賀茂川沿いの道で、少し歩いたらもう、下鴨神社のある糺の森だ。京阪電車は昔よりとても綺麗になっていたし、出町柳駅を出た瞬間に、スカッと透明な京都の空気だ。わー、京都に来たなー、と嬉しくなった。

 糺の森の入り口の所↓

f:id:oinor-i:20170906103743j:plain

 甲子園球場の3倍の面積を持つこの森は、樹齢600年以上の巨木が多数生い茂っていて、桜井さんいわく「山岳系の高い波動を保っている」森だそうだ。桜井さんによれば、神様というのは、山岳系と平野系があり、山岳系の神様は神格が高く力も強い、一方、平野系の神様は穏やかで優しく面倒見のいい神様だそうだ。なので、願い事の種類にあわせて、行く神社を選ぶといいそうだ。日常的な願いは平野系の神社に、大きな願事は山岳系の神社に、と。 

 この下鴨神社は、平安京ができる前からあるという途方もない程長い歴史を持つ。当初の神域はもっと広かったそうで、山岳系(おそらく高千穂峰)の大きな神様をお呼びして祀っていたそうだ。だが、明治新政府の寺社領没収により神域が狭くなり、山岳系の神様は、いられなくなったそうだ。元の山に帰られたとか。でも、時々ここに来られるので、下鴨神社は都会のど真ん中にありながら、今だに高山の高い波動を保っているのだそうだ。平野にあって、山の波動を浴びられる神社は他にない、とか。

 メインに祀られている神様こそいないが、この下鴨神社には、10柱ほどの小さな神様がおられ、こまごまと働いておられるそうだ。この下鴨神社の小さな神様方はとても優しく、職人気質でしっかりと確実に仕事をしてくれるので、ここで祈願した願いは、たいてい叶えてもらえるだろう、と桜井さんは書いておられる。ここの小さな神様方は、あたたかく人間が大好きなのだそうだ。

 そんな事前情報を持っていたせいだろうか、糺の森に入った瞬間に、すでに涙が出てきた。やばいぞーと思いながら、心の中で神様に向かって自己紹介し、ここに来た理由や、叶えて欲しい願いをお話しした。  

 神社で祈願する時は、とにかく「具体的に」しなければいけないそうだ。また、一つの神社で一つ祈願する。2つも3つもまとめてお願いしない、というのも基本だそうだ。なので、「息子をよろしくお願いします」的な漠然とした祈願では意味がないだろうと思い、私は、息子に関して、8つの具体的なお願い事項を、あらかじめ決めていた。ここでは、そのお願いの1つを祈願した。

 息子のことを細かく説明したほうがいいだろうと思い、歩きながら一心で(心の中で)神様方に説明していたら、集中しすぎたせいか、ものすごく疲れてしまった。それで、ある程度説明したところで一旦止めにして、周囲を見ながらのんびり歩く事にした。

 歩いていて、本当に気持ちのいい森だった。森といっても広い歩道があり、その周囲に巨木が連なっている。とても涼しい。清浄な空気に癒された。ずっと歩いていたい気持ちだった。 

f:id:oinor-i:20170906104006j:plain

 この糺の森には山岳系の神様の波動がしっかり漂っているので、悪いモノを憑けてしまっていても、ここを通るだけでスパッと祓ってもらえるそうだ(というか、悪いモノはここの高い波動に耐えられず、勝手に落ちていくそうだ)。

 歩いていって境内に着いた。鳥居の奥に楼門が見える。とても綺麗で頻繁に手を入れて修理されているのが分かる(21年に一回、大掛かりな改修をされるそうだ)。

f:id:oinor-i:20170906103709j:plain

f:id:oinor-i:20170906103804j:plain

 楼門を入って、本宮に向かった。人が多い神社だったが、ちょうど人波が途絶えた所で、私とあと男性が一人女性が一人、本宮に向かって立つ形になった。お賽銭を入れて、柏手を打って、両手を合わせて目を瞑った。

 祝詞をあげられたら良かったのだが、人がいるので声を出せないなと思い諦めた(祝詞は声を出して唱えないと意味がないので)。念の為もう一度住所と名前を言って(心の中で)、息子の事をお願いした。 

 一生懸命集中してお願いしていたら、首の後ろがカッと熱くなって涙が出てきて我ながら驚いた。人がいるから恥ずかしい、と思ったが、同時に、恥ずかしがっている場合ではない、とも思った。きちんとお願いする為に今ここにいるのだから、お願いしなくてはいけない、と、集中して祈願していて、何時間もたったような気がしたが、実際には1~2分のことだったと思う。祈願を終えて目を開け、柏手を打ってお礼をして、1~2歩外へはずれた。その時、大きな黒い虫(何の虫かは分からない)が右肩のあたりにブーンと来てぶつかってきた。え?と思い、反射的に払ってしまったが、同時に「すみません」と小声で言っていた。全部一瞬のこと。虫はもう消えていた。「願いは聞いた」と言って頂けた気がして(勝手な想像)、また少しだけ涙が出そうになった(泣き過ぎ)。

 気を取り直し、たまたま特別拝観をやっていたので、600円払って参加させて頂いた。靴を脱いで祓殿という、本宮により近い建物に入らせて頂いて、本宮を目の前にして、下鴨神社についてのお話を係りの方から伺った。お話を伺っていたら、本宮前のお庭(?)に黄色い蝶々が飛んできて、私の前をヒラヒラといつまでも飛んでいる。秋に黄色い蝶?と不思議に思い、写真を撮りたかったが、撮影禁止エリアだったので残念だった。黄色い蝶は、私がそこにいた間ずっと、ひらひらと楽しそうに飛んでくれていた。

 少し話は変わるが、本宮前の狛犬は、「あ」のほう(向かって右)が緑、「うん」のほう(向かって左)が青に塗られていて、とても個性的だった。理由を係りの方に伺ったら、下鴨神社の神様は、緑と青がお好きだから、だそうだ。へー、っと思った。山と川の色だから?面白いなと思った。

 特別拝観では、普段は入れない三井神社や御車舎のほうにも入らせて頂いた。三井神社の言車の一つの屋根に、びっくりするほど大きなカマキリがいた。ハッキリとした黄緑色で、とても目立っていた。カマキリを見るなんて、何十年ぶりだろうか。40年ぶりとかだろう。写真を撮りたかったが、そこも撮影禁止エリアでとても残念だった。

 残念だなーと思いながら御車舎エリアを歩いていたら、花壇に「フタバアオイ」が植わっていた。ハート型の小さな葉だ。この葵は、京都の葵祭りでも有名な古都の雅な葉。とてもとても弱い葉なのだそうだ。日本人は、生来とても身体的に弱い民族だそうだが、葉っぱすらそうなのだなあと思った。ここの葵は、お世話をされる方が丁寧に育てておられる事がうかがえた。名札もついていた↓

f:id:oinor-i:20170906103824j:plain

アオイの隣りに、こんなものが↓

f:id:oinor-i:20170906103845j:plain

カツラの葉?だそうで、勝手に持って帰って良い、との事なので、有り難く一つ頂いた。これ↓

f:id:oinor-i:20170906103919j:plain

確かに、とても甘い香りがする。しいて言えば、甘く淹れた紅茶のような、胸のすっとする良い香りだ。家まで千切れずに持って帰れるかなーと心配したが、無事、持って帰れたので、神棚に飾っている。今日もまだ良い香りがする。嬉しい。

 特別拝観では、本宮裏のお庭を自由に散策できる。そこに大炊殿という神様の為の食事を作る建物があり、畳のお部屋もあったので、しばらく縁側で休憩させて頂いた。縁側から、お庭を眺めた景色↓

f:id:oinor-i:20170906115354j:plain

ひっきりなしに何かの音が聞こえる。烏の鳴き声、烏意外の鳥の声、ツクツクボーシの声。音だけでなく、鳥がサッと飛び立ったり、虫が飛んでいったり、目の前に色んなものが見えて飽きなかった。ぼんやり縁側に座っていたら、「ハッ」と気が付いた。ああ、そうか、これがお答えなのか、と。

 私は、糺の森で神様に話しかけていた時、知らず知らずのうちに、神様に聞いていた事がある。それは、常日頃、私が疑問に思っている事。「何故、発達障害児は生まれるのですか?」という事だ。本人もしんどいし、支援する周囲もしんどい。発達障害児が存在する事で「しんどさ」が生まれるのに、何故存在するのですか?と。

 本宮裏のお庭を眺めていたら、その答えが、自然に浮かんできたのだ。それは、こういう事だ。

 バリエーションがあったほうがいい、バリエーションがあったほうが楽しい、飽きない、そういう事なのだ。鳥も虫も、何の役にも立っていない上に、それらが存在するおかげでお庭のお世話が大変だ。鳥も虫も駆逐してしまえば、なんならお庭自体を失くしてしまえば、合理的でラクになる。でも、それでは楽しくないのだ。役に立っていなくても、お世話が大変でも、人間だけではなくて、草や木があって、鳥がいて、虫がいるからこそ、この世界は楽しいのだ。健常者だけの均一的な人間ではなく、発達障害者のような独特の個性のある人間も、いたほうがいいのだ。楽しいのだ。バリエーションが豊富だ、ということは、「豊か」ということなのだ。

 そんな答えが、ふっと浮かんだのだ。心が落ち着いた。

 特別拝観を出て、御手洗池のほうへ向かった。水みくじのあるエリアだ。池というか、流れのある小さな川のほとりで休んでいたら、少し離れた所にアゲハ蝶が飛んで来た。ここは写真撮影可能な場所なので、ぜひ撮りたいと思ったが遠すぎる。分かるでしょうか、画面中央からちょい上の右端、石の隙間にいます↓

f:id:oinor-i:20170906120907j:plain

「写真に撮りたいから待っててね」と心の中でつぶやきながら、ぐんぐん近づいていって、アゲハ蝶の真ん前まで行って、真上から撮りました。その間、蝶々は逃げる事なくずっとそこにいてくれて、写真を撮る瞬間には、綺麗な羽を広げてくれました↓

f:id:oinor-i:20170906103642j:plain

撮れました!有難う、と心の中でつぶやいたら、ひらひら~と飛び上がって、川の周囲を遊ぶように飛んでから、木の向こうへ消えていきました。

ここに来て、色んな虫が出てきてくれたけれど、やっと撮影できて嬉しかったです。

帰りに、鳥居の横のお店で、御饅頭を頂きました。お茶のお椀が葵の柄で、かわいい↓

f:id:oinor-i:20170906103942j:plain

 帰り道、糺の森を歩いている間も、足元からパッと鳥が飛び立つ事が三度続けてあったり、糺の森を出たところの小道で、鈴虫の鳴き声が聞けたり、最後の最後まで、本当に楽しい参拝でした。

f:id:oinor-i:20170906104212j:plain

鈴虫の声が聞こえた道。よく見たら紅葉したもみじが一つ二つ。

下鴨神社は、京阪出町柳駅から歩いてすぐだし、関西からはとても行きやすい神社です。けっこう歩いたのですが、翌日足が痛くなることもなく(足が弱い私にはめずらしい)元気いっぱいです。元気ついでに、こんな長いブログ記事を書いてしまいました。