書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

遠くから愛するという事。側にいて育て続けるという事。

 子供を愛せない。でも、育て続ける。

 子供を愛せる。でも、育て続けない。

 とてつもなく育てにくい子供(多くは発達障害児)を授かった親は、このどちらかに分かれるのではないか、と私は思っています。あまりにも育てにくい子供を、逃げずに育てていて、かつ、その子を心底愛せる親は、いないんじゃないか、と(いたらすみません<(_ _)>)。

 私は子供を心底は愛せていない気がしています。なので、こんなことを書いているわけです。

 子供の事は理解しようと努力しているし、良い面も沢山知っているし、一緒にいて癒される事も多いです。子供のことは好きです。でも、心底愛しているか、と言われたら、頷く事は難しい。なぜなら、あまりにも、あまりにも、子供に苦しまされてしまってきたから。息子が悪いわけではないのです。障害だから仕方ないのです。それは分かっている。それでも、産んでから今までの16年間、息子に苦しまされて来た、という事実は事実として存在するのです。そして、悟りを開けていない小さな人間である私は、これだけ苦しまされてきた(そして今後も苦しまされるであろう)息子を、心から自然に愛する、という事はできないのです。

 好きでも愛せない。その違いを説明するのは難しいですが、日々暮らしていて、愛していれば許せることが、愛していないが為に許せない、ということがあるわけです。子供に対して、心底絶望したり、イラついたり、ということが、私にはあります。勿論、それを子供に見せたりぶつけたりはしません。自分の心の奥底に沈めているわけですが。本当に子供を愛せていたら、こんな苦々しい気持ちにはならないのだろうなあと思うのです。それでも、何故、子供に私の苦しい気持ちを見せないのか、ぶつけないのか、と言えば、それは、子供のことが好きだからです。大事だからです。好きだから苦しめたくないのです。どちらかが苦しまねばならないのだとしたら、子供ではなく私のほうだと、それはハッキリと思っています。

 

 一方で、育てにくい発達障害児を授かり、離婚した、という女性を知りました。お子さんはご主人のほうが引き取ったそうですが、そもそもご主人とお子さんとは、血が繋がっていないのだそうです。また、お子さんを引き取ったご主人も、すぐにお子さんを育てる事に限界を感じて、他人に養子に出してしまわれたとか。

 この女性は、お子さんの事を、今でもとても愛しているそうです。でも、育てる事はできなかったのだそうです。

 逆に言えば、育てる事から逃げたから、愛し続けられるのではないか、と私は感じました。

 だから何?ということではないし、どちらが正しい間違っている、という事でもありません。ただ、愛って何だろう?と思ったのです。

 愛が、もし、子供の幸せを実現させることに具体的に努力し続けること、であるなら、私は息子を愛している、と言えるかもしれません。

 一方、愛が、子供のことを遠くから、濁りのない(苦しさのない)心で思えることであるなら、その女性はお子さんを愛している、と言えるのでしょう。

 つまり、具体的に関わり続けるその行為を「愛」とするのか、離れてから思う思いを「愛」とするのか。私には分かりません。

 

 犬と人間の子供は全く違う存在だけれども、似ている部分もあると、私は思っています。私の家では、覚えている限りずっと、犬を飼っていたし、結婚してからも私は私自身の犬を飼っていたので。もう死んでしまいましたが。

 犬は、どんな犬でも、飼い主が大好きです。生まれた時から人間の側にいて、人間にきちんと世話してもらっていれば。苛められたり、粗雑に扱われたりしなければ。そして、子供も、どんな子供でも、親が大好きです。

 犬は、世話してくれる人を、飼い主だと判断し、慕います。世話してくれない「遠くの誰か」を、飼い主だとはみなしません。その「遠くの誰か」が、その犬のことをどんなに愛し、幸せを願っていたとしても。その愛がどんなに純粋なものであっても。犬は、実際に自分に餌をくれ、散歩に連れていってくれ、ブラシをかけてくれ、毎日一緒にいて頭を撫でてくれる人を、慕います。その人が、心の中で時折「ああ、散歩が面倒くさいなあ、躾けが大変だなあ」と嘆息していたとしても。犬にとっての飼い主は、実際に世話してくれるその人であり、犬は、飼い主に対して、一途に忠誠心を捧げます。

 最後に飼った犬は、15歳まで生きて老衰で亡くなりました。私の膝の上で小さくきゅんと鳴いて、次の瞬間には息をしていませんでした。膝の上がふっと軽くなって、彼が彼の体から抜けたのを感じました。私の膝の上にあるのは、もう彼の抜け殻だけでした。彼はとても満足して空に上がっていってくれた、それは、私がずっと彼と共に生き、最後まで彼と共に在ったからだ、と私は感じました。

 こういう事は、人間の子供にもあてはまるのではないか、と私は思ってしまうのです。

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