書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

気楽さから傲慢さへ流れてしまう私

 最近の悩みについて書こうと思います。

 といっても最近は、とても調子がいいのです。理由はハッキリしていて、息子のしつこい「絡み」(私を長時間質問攻めにすること)がなくなったからです。あれが私にどれだけ負担だったのか、なくなってみてよく分かります。

 負担がなくなったせいで、身も心も軽くなり、毎日気分よく暮らせています。息子と話す時も、今までは「いつ絡まれるか」と緊張しながら、絡まれる餌を与えないように細心の注意を払って話していました。今も注意は払っていますが、以前ほどの緊張感はなくなり、息子にとって苦手な事の肝さえ押さえておけば大丈夫になり、随分ラクになったのです(息子が苦手なのは、不安感です)。

 ラクになったなーと実感するのは、日々のルーティンを通して、が一番多い。家事でも、以前は「しんどい、辛い」と思いながら無理やり自分を鼓舞してこなしていましたが、最近は楽々クリアという感じ。いつの間にか手をつけていて、いつの間にか終わっている。

 日課のウォーキングも、以前は、足が重かったり、歩いていて退屈でしんどかったりしたものですが、最近は、同じコースでも全く疲れず、音楽など聴かなくても退屈もせず、アッと言う間に終わっています。

 毎晩のストレッチも同じで、以前は早く終わりたい、早く寝たい、という感じだったし、痛みを伴うストレッチは気力を振り絞ってやっていたのですが、今は、以前と同じストレッチなのに、あまり痛いと感じないのです。これは本当に不思議。例えば開脚前屈でも、以前はイタタタという感じだったのですが、今は、心地いいなーと思いながら、頭を床にペタリという感じ。痛みって、ストレスが多いと強く感じるのだ、という当たり前のことを実感します。

 そんな感じで気持ちがラクになったのは良いのですが、これは私だけの傾向なのだと思うのですが、気持ちがラクになると、何故か私は、「傲慢」になっていくのです。気持ちがラクになる→気がゆるむ→自律心がゆるむ→傲慢になる、という感じ。他者への気配りや思いやり、我慢する力などが衰えてしまうのです。

 その結果、今までは夫に対して、イライラしても何も言わずにスルーできていた事が、つい一言文句を言ってしまうようになり、困っています。

 例えば、先日は、お風呂上りで私がリビングのソファーでのんびりしていたら、夫が入って来てテレビをつけました。取りだめていた何かの番組でした。夫の好む番組は、昭和の懐メロとか、病気にまつわる事とか、格闘技とか、どれも暗かったり暴力的なので私はとても苦手。そもそも私は普段、テレビはあまり観ません。私はテレビの音が苦手なのです。 

 今までは、夫がテレビをつけたら、私は自室へ移動していました。避難ですね。でも、先日は、私のほうが先にリビングでくつろいていたのに、後から来た夫に追い出される事に引っかかって、しばらくソファーでボーっとしていたのです。これが間違い。夫はいつも大音量でテレビを観ますし、少しでも聞き取れない言葉があると、何度も巻き戻して同じ場面を繰り返し観ます。テレビがついている事だけでも苦痛なのに、苦手な同じ場面が繰り返し流れる事に、私は更にイラッとしてしまい、つい、「何回巻き戻すの?」と夫に言ってしまいました。

 最悪です。

 今まで、そういう事を、私は言わないように我慢できていたのです。それが、気が付いたら言ってしまっていた。あーあ、です。

 夫は、そもそも罪悪感を持っていながら、自分の行動を私が許して多目に見てくれることを期待しているような時に、私に批判されると激怒します。もともと罪悪感があるから、そこを刺激されて逆切れするんですね。

 なのでこの時も、当然夫は大激怒。「何回も巻き戻してなんかいない」と、私を恫喝してきました。そういう時の夫の声はとても大きく暴力的です。相手を声の大きさと怖さで威圧する事で、自分の正統性を主張できると思っているのです。

 困った事に、息子がその時近くにいました。息子は夫の怒った声が大の苦手で、一気に荒れました。止めて止めてと大騒ぎになり、収拾がつかなくなり、我が家は一瞬で大惨事になりました。

 きっかけは、私の不用意な一言です。もっといえば、夫がテレビをつけた時点で、さっさと自室に避難していればよかったのです。今まであっさりできていたそれができなかったのは、私が傲慢さに傾いていたからです。

 気楽になると、油断して、傲慢に傾いてしまう。これが私の悪癖で、なんとかしなければいけません。どうしたものか、と考えていて、ある記事を見つけました。その記事では、「我慢と自慢は同じ」と書いてありました。何か心にひっかかる事があり、考えてみたいと思いました。次回はその記事について書きます。