書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

避けられるなら、それは苦労ではない

 「頑張ってはいけない」という方向の自己啓発が、私はずっと苦手なのですが、先日、友人から、まさに苦手ドンピシャの記事が、携帯に送られて来ました。どこかの自己啓発の先生のホームページだかブログだかの記事なのだそうですが、友人は、「これ、すごくいい事言ってるからお勧め~」という感じで送ってくれたのです。申し訳ないけど、本当に苦手。彼女には何も言えなかったので、ここに書きます。

 その記事の内容は、こういうもの。

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 苦労やハングリー精神をエネルギーにして生きる、そんな臭い時代はもう終わっていいのだ。苦労はお金を払って誰かに助けてもらってでも、回避すべきだ。

 何故ならば、苦労やハングリー精神を乗り越えて成り上がって来た人は、周りの人にもそれを美徳として強要するので、周囲が迷惑するからだ。

 また、そういう人は、苦労して成り上がった事を「すごいね」「がんばったね」と認めてもらいたくて、自ら更に苦労する道に入って行くし、周りの人も一緒に苦労の道にひきずりこもうとするからだ。

 苦労やハングリー精神をエネルギーにして成し遂げなくてはいけないほど、為さねばならない事は何もない。もっとラクに楽しく人生を歩んでいくべきだ。

 なぜなら、そうやって楽しく人生を歩んでいる人は、人に優しくなれるし、分かち合いの精神も持っている。つまり幸せになれるからだ。

 苦労なんて、人生が臭くなるだけだ。

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 私が、上の記事の説に疑問を感じるのは、以下の二点です。

「苦労やハングリー精神をエネルギーにして成し遂げなくてはいけないほど、為さねばならない事は何もない」「苦労はお金を払って誰かに助けてもらってでも、回避すべき」。

  では、疑問を感じる理由を書きます。
 「苦労」って、色々原因があると思うのです。もちろん、この自己啓発の先生が仰るように、成り上がる為に自ら自分に課した苦労もあると思いますが、それだけではない。自分は全く何もしていないのに、降って来る苦労も多々あります。この先生は、そういう「受動的に降ってくる苦労」については、スルーされている事に、まず、疑問を感じます。
 ハッキリ言って、世の中の「苦労」って、むしろ、「受動的に降ってくる苦労」のほうが多いんじゃないでしょうか。成り上がる為に苦労している人なんて、そうそういませんよ。生まれつきの病気とか障害とか貧困とか、家庭環境が厳しいとか、本人に原因のない不幸から生じる苦労のほうが、ずっと多いと思います。
 苦労に対して、この先生は、「お金を払って誰かに助けてもらってでも、回避すべき」と仰っておられますが、それが可能なケースばかりではないです。払うだけのお金が無い場合もあるし、大金を積んでも誰にも助けてもらえない場合もあります。むしろ、どんな手段をとろうとも、誰にも助けてもらえないケースのほうが、世の中には多いです。大金積んだら、病気が治りますか?障害が消えますか?という話です。無理ですよね。だから苦労なんです。
 この先生が言うように、避けられる苦労を自ら拾いに行く必要は、全くないです。私もそこは同意します。でも、今の時代で、そんな人、いるだろうか。苦労を神聖視して、他人にもその信条を押し付ける人は、過去の世代の方々だと感じます。もうそういう時代じゃない。みんなもっと、割り切っています。自ら苦労を拾いに行く人なんて、今の時代には、そうそういませんよ。
 今の時代に存在する「苦労」は、本人にはどうしようもない、「受動的に降ってくる」そして、「それを回避する手段が一切ない」、そんな苦労です。だからこその「苦労」なんです。避けられるなら、もはやそれは「苦労」ではないです。
 なのに、こういう先生の「もっとラクに楽しく人生を歩んでいくべきだ」という言葉を受け取って、回避できるはずのない苦労から、逃げ出してしまう人が増えていると感じます。回避できる苦労を避けるのは構わない。でも、回避できない苦労から逃げ出すのは、問題です。
 たとえば、自分が病気でも「病気ではない」として、治療をしない人。実際にいるんです。最近増えている。自分が病気だと思うから病気なんだ、病気だと思わなければ病気ではない、という理屈です(親族に医者が多いので聞かされます)。こういう方々には常識的な言葉は通用しません。こういうケースは自分が死ぬだけだから、自己責任で済みますが、家族(特にお子さん)が病気でも、この考え方を採用される方がいます。子供が障害でも、障害ではない、と言い張って、療育を拒否する親御さんも沢山見ました。家族は災難です。こういう方の家族こそが、「受動的に降って来る苦労」をしょいこまされるわけです。
 避けられない苦労から逃げる人が増えると、相対的に、世の中に苦労の数は増えていくと感じます。避けられない苦労から逃げる事を勧めるような自己啓発は、世の中に苦労を増やしているのと同じことではないかと、私は思うので、苦手なんです。