書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「サザビーズで朝食を」フィリップ・フック著

 サザビーズ、、、クリスティーズと並ぶ、言わずと知れたオークション会社です。著者はこの2大オークション会社の両方で、競売人として、またディレクターとして活躍した人物です。この本には、美術界の全てが、その美とお金と狂気と人間味と滑稽さと伝統とフェアネスと運と、、、何から何までたっぷりと書いてあります。

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 とても味わいの深い本で、じっくりと時間をかけて読みふけりました。表現に大袈裟なところは何一つなく、辞典のような事実の羅列だけで構成されているにも関わらず、読んでいる間中ずっと、優雅な気分と、心のどこかでぴりりとした痛みや、悲しさや、諦めの笑いを感じ続けました。

 私は個人的に、競売や美術界の裏側を書いた本が大好きで、かなり読んでいるつもりですが、この本はダントツというか、他の本とはレベルが違いました。各々の画家、アーティストの一人ひとりについて、絵画や彫刻の一つひとつについて、詳細で唸らせられるエピソードが書き込んであります。そしてそこに、リアルに絡みつくお金について、人が何にお金を払っているのか、美術品の価値が値上がりしていくそのからくりについて、そこに存在する魔と滑稽さと襟を正したくなるような矜持について、書き込んであります。

 イギリス人気質と伝統について、それがこの2社によって、いかに優雅に見事に機能し、人々を喜ばせ続けてきたのか、について、私は学べたように思います。

 ただ、私は、もしなれるものなら、サザビーズがクリスティーズの競売人になりたかった人間で、それもあって、イギリスが好きなのですが、この本を読んで、自分の思い違いを知りました。

 確かにサザビーズもクリスティーズもイギリスで生まれた会社ですが、今は、前者はアメリカ人に、後者はフランス人に、買収されていたのでした。。。現在の美術界の株式市場化は、仕方ないのかもしれません。

 しかし今もなお、美術品に価値を与え、それを維持するシステムが機能しているのは、この2社のおかげなのです。本書にこんな記述がありました。

「荒れた海ほど、最も多くの魚を捕まえられる。クリスティーズサザビーズは3世紀もの間、その荒れた海で、人の死と離婚と負債と、そして戦争という災厄のおかげで押し流されてきた貴重な品々を、巧みな手腕で市場へと送り出してきた」

「荒れた海は、死death、離婚divorce、負債debt、災厄disaster、と不思議とdで始まる単語からなっている」

 また、オークションという形式の有益性について、著者はこんな風に記述しています。

「美術品という商品の価値は、固有ないし客観的なものではほとんどない。だが、幻想や野心や人間の競争心によって、おおいにその価値をふくらませることのできる商品だ。個人的な売買、すなわち画商の仕事のやり方では、取引を終わらせることはここまで簡単ではない。美術市場では、オークションの興奮に満ちた競り合いの中で、定期的に高価格が生み出されてきたが、これらは個人的な取引では決して達成できなかったであろう」

 美術品に価値を与えたのは、その倫理観や価値観は、イギリス人気質が生み出したものではないかと、この本を読んで思いました。イギリス人気質を一言で言い表すのは困難ですが、しいて言うなら、英国的アマチュアリズムとも言うべき、饒舌と寡黙さと傲慢さと学者肌の奇妙な混成物です。それは、排他的な紳士クラブと美術館との間のどこかしらに存在するものです。このイギリス人気質が今もなお、世界中の美術品一つひとつに対してオーラとなって覆い包み、それらに価値を与え続けているのだと思います。

 この本には、日本の、美術界への影響についても書かれています。いわゆるバブル期、日本人が世界の美術品を買いあさり、その価格を天文学的に釣り上げた現象について、そして、日本人が買いあさった美術品をどのように扱っていたか、について。

 1980年代後期、突如として繁栄の時代を迎えた日本人は、モネ・ルノワールセザンヌゴッホ等の数々の作品を、買いあさりました。たとえば1990年5月、大昭和製紙株式会社の斉藤了英氏が、ルノワールの「ム―ラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を120億円で、ゴッホの「ガシェ医師の肖像」を123億円で落札しました。

 日本人は、美術品に対して奇妙な扱いをする、と著書は書いています。その一つは、「彼等は購入した絵画を、飾らない」というものです。著者はある有名な日本人コレクターの自宅を訪問した際、壁に絵画が一枚もなく、代わりに、文字が書かれた紙が額に入って飾られているものが、沢山並んでいた事に驚いています。「何故購入した絵画を飾らないのですか?」とその日本人コレクターに尋ねると、「絵画は、壁に飾るには高額過ぎるので危険だからです。絵画は全て、銀行の地下金庫にしまっています」との返答。そして代わりに飾られている紙は、その絵画を本物だと認定する鑑定書類なのでした。日本人は、美術品そのものではなく、その鑑定書を壁に飾る人種なのだ、と著書は驚いたそうです。美術品に対してそのように扱うのは、日本人だけだ、と。

 また、日本人の奇妙さについて、別のエピソードが書かれています。それは先にも書いた大昭和製紙株式会社の斉藤了英氏をめぐる話なのですが、彼は購入した二枚の絵画「ム―ラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と「ガシェ医師の肖像」をとても愛していた為、自分が死んだらこれらの絵画も一緒に埋葬するように、指示していたのです。このニュースは西洋の美術家達を脅えさせました。かの名画が、一人の人物の死とともに、永遠に地下に埋められてしまうのか、と。美術品は、その持ち主の死後、再び市場に出て、新たな持ち主に買われ、そうやって永遠に人々を楽しませるものである、というのが西洋の美術家達の認識でした。でも日本人は、その美術品の所有者が、その美術品の生命を終わりにする権利がある、と考えているのです。

 お金と権利が絶対的な専制君主であり、美術品はその下に位置する奴隷のようなもの、という日本人の認識に、世界が驚愕したのです。

 この、分厚い本の最終ページの最後のセンテンスは、このような内容の文章で締めくくられています。

「アーティストである彼は言う。『ぼくは楽しむために美術品をつくり、生きていくために金を必要とするのだ』。彼が取引している裕福なパトロンたちはこう言う。『わたしたちは楽しむために金を儲け、そして生きていくために美術品を必要とするのだ』」

 

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*「ム―ラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と「ガシェ医師の肖像」。幸い、斉藤氏の死後もこの名画たちは埋葬される事なく、未だに地上にあるそうです。