書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

ああ、しつこい

 私の息子は、死ぬほどしつこい時があります。自分が答えて欲しい答えがもらえるまで、手を変え品を変え、同じ系統の質問を、私にし続けるのです。また、その質問の最中に、その質問から派生した別の質問を思いついたら、またそれを言い始め、また、私の返答の言葉尻をとらえて曲解し、自分の都合のいいように新たな質問を作り上げて、「それがこうなら、これもこうなのでは?」と、筋の通らない屁理屈な質問を繰り出して終わりません。彼は何か不安な事があると、その不安感を誤魔化す為に、私に相手をして欲しがるのです。私にからみつくように質問し続ける事で、私に相手をさせ続けるのです。

 ああ、しんどい。この子の相手をする事で、私の寿命は間違いなく短くなっていくのだろうという実感があります。夫は、私がいつ病気になるか、なんならストレスで死ぬんじゃないか、と、最近心配するようにすらなりました。夫は私に先に死んでもらっては困るのですが、かといって、夫が私の代わりに子供の相手をしてくれるわけではありません。子供も、夫には何も言っていきません。手酷く拒絶されるのが分かっているので。

 私が子供を拒絶して、子供の質問に返答するのを止めたら、どうなるのか、と時々考えます。最初は子供も怒るでしょうし、死にもの狂いで荒れるでしょうが、それでも私が拒否し続けたら、いつかは諦めるでしょう。そして、誰にも受け止めてもらえない不安から、精神を病んでいくでしょう。

 難儀な話ですが、これが現実なので、乗り越えるしかないわけです。私が思うことは、たとえ寿命よりもずっと早く死ぬことになったとしても、この子を受容する事を止めるわけにはいかないし、逃げることもできない、という事です。

 産まなければ良かった、時にそう思う事もあります。本当に極限まで疲れ切った時は。もし、誰かにこの子の面倒を押し付けて、私がキレイな顔をして生きていられれば、そんな冷たい気持ちには絶対にならないでしょうが、子供の面倒で大変な部分を一生受け止める覚悟をしているからこそ、時にそう思ってしまいます。でも、本気ではないのです。そう思う事で、一瞬息ができる。それだけです。

 ああ、いっそ死にたい、と思う事で、今日一日を生き抜く事ができる、というような日があります。

 ああ、産まなければ良かった、と思う事で、今日一日を耐え抜く事ができる、日もあります。

 どちらも本気ではないのです。

 それでも、息子は約束通り、私に手をあげる事はなくなりましたし、夜、寝る前に私の部屋に来て延々話していく悪癖もピタッとなくなりました。彼なりに、一生懸命、自分を律しているのを感じます。その努力を、その頑張りを、私はとても尊いものに感じます。何もかも一変には良くならない、一つづつ、少しづつ、です。