書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

生きるのは面白い

 前々回の記事で、「神社にいるのはそもそも自然に存在していた様々な神様たち、お寺にいるのは人が死んだ後に修行をしてなる仏様たち」と書きました。

 でもこれはおおざっぱな説明で、厳密に言えば正解ではありません。

 厳密に言うと、人間は死んだ後、仏様ではなく、神様になるケースもあるからです。人間が死んだ後、仏様になりたいと仏様修行のコースに行く人もいるし、神様になりたいと神様コースに行く人もいるのです(もちろん、どちらにも行かない人のほうが大多数ですが)。なので神社の神様というのは、自然霊がなった存在と、人間がなった存在の両方があるのです。

 桜井さんの著書によると、死んだ後の魂の修行(仏様コースにしても、神様コースにしても)というのは、とても大変なのだそうです。

 桜井さんのお祖母さんも霊感の強い方で、死んだ後、神様になる修行を目指されたそうですが、あまりにも大変だったので、リタイアしたそうです。神様修行をリタイアし実家に戻って来てしまったお祖母さんの霊は、これまた霊能者であるお祖父さんが祈念して成仏させてあげたそうです。

 ちなみに、神社には、その神社で祀られている神様だけでなく、こういう「神様修行中」の方々も沢山いるそうです(私には見えませんが)。現世で生きている人間を助ける、というのは、神様修行の大きな要素なのだそうです。神社に行った人間が、何かを祈念すると、ご本尊の神様ではなく、この「神様修行中」の方々が動いて助けて下さる事も多いそうです。

 なぜこんな話を長々と書いているかというと、桜井さんの著書に興味深い事が書いてあったからです。

 この大変な神様修行中の方々の中には、リタイアする例もある、というのは先に書きましたが、そのリタイアの理由は、桜井さんのお祖母さんのように、「修行が辛すぎて無理」という理由だけではないそうです。

 神様になってしまうと、もう二度と現世に生まれて来る事はできません。神様修行をしているうちに、なんだか現世を恋しく思ってしまう方々がいるのだそうです。現世では、本当に辛いこと、苦しいこと、思うに任せない事など沢山あったにも関わらず、現世はとても「面白かった」、もう一度、現世であの面白さを味わいたい、と思う方がおられるそうです。そして、せっかく途中まで進んだ神様修行をリタイアしてしまうんだそうです。一旦リアイアしてしまうと、それまで積み重ねた修行履歴はゼロに戻ります。それでも、現世の面白さを、もう一度味わいたい、と思うのだそうです。

 現世。今、私が生きているこの人生。

 大変なこと、しんどいこと、面倒くさいこと、嫌なこと、心配なこと、億劫なこと、山のようにありますが、それでも、これを全部ひっくるめて「面白い」と感じる事は、もしかしたらできるかもしれない、桜井さんの本を読んで、そう感じました。生きる、という事は、どんなに嫌なことが沢山あったとしても、やっぱり面白いのかもしれない。いや、面白い、多分、面白いんだろう。そう思うのです。

  でも、ここで書いたような事(この世やあの世の仕組み)も、いついつまでも永遠に続くわけではない、と私は思っています。これらの上に宇宙(神)が厳然と存在していて、少しづつ歪んでいくバランスを一気に調整する事もあるだろう、と思うからです。その時、神も仏も霊も魂も善も悪も全てが混然となり消えて生まれて新しい秩序の中に溶け込んでいく時がくるでしょう。永遠に続くものは何一つないし、絶対的な真実、絶対的な正解、というものも、だから存在しないと私は思っています。