書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

神仏について、私はこう捉えている。

 神仏。よく分からない存在ですが、桜井識子さんという方の著書を絡めて、私が神仏をどう捉えているか、について書きます。

 桜井さんは、私と同年代の女性で、介護職についておられました(今は文筆業に専念されています)。数年前までごくごく普通の女性だったのですが、ひょんな事から神仏についての本を出版することになり、アッと言う間に立て続けに何冊も出版され、それがどれも重版に次ぐ重版。売れっ子作家さんになられました。

 桜井さんは、もともと霊感をお持ちの方で、神仏を見たり話したりできる方で、そういうご自身の知見から、神仏の世界を著書に書かれています。こういうと非常にうさんくさいですが、私は彼女の著書に、うさんくささは微塵も感じません。私は、スピ系の本は苦手なのですが、桜井さんの本はスピだとは思えないのです。

 私自身は霊感は持っていませんが、家族が昔から相談している本物の霊能者の方を知っています。その方に伺うと先の事を教えて下さるのですが、ことごとく当たるのです。桜井さんは基本的に、その方と同じ事を書いておられるので、だから、本物だ(上から目線で申し訳ありません)と思うのです。

 桜井さんの著書の中で、私が印象深く読んだ場面は沢山あるのですが、中でも彼女のお祖父さんの逸話は折々に思い出します。

 彼女のお祖父さんも一種の霊能者ですが、同時に人格者でもあったそうで、それを示すエピソードの一つに、こういうものがあります。

 桜井さんのお祖父さんは、前日知り合ったばかりの男性に、一緒に魚釣りに連れていってほしいと頼まれた(お祖父さんはご自身の船を持っておられたので)。待ち合わせの朝の7時に港に出かけたお祖父さんだが、約束した男性は来ない。お祖父さんは港で男性が来るのを待ち続ける。途中見かねた家族が、一人で魚釣りに行ってしまえばいいのに、と勧めるが、お祖父さんは「来た時、私がいないと悲しむだろう」と港で待ち続け、結局夕方まで待ったけれど、男性は来なかった。家族がその男性の無責任さを怒ったが、お祖父さんは淡々として怒らない。どうして怒らないの?と聞くと、「神仏すら怒らないのに、私が怒るわけにはいかないだろう」と答えた。

 よく「バチがあたる」というような表現がありますが、実際のところ、神仏が人間にバチをあてる、等という事はありません。神仏は人間を助ける事はしても、人間に障りを与える事はしません。神仏は、人間がどんなに間違ったことをしても、その落ち度を指摘して怒ったりはしないのです。桜井さんのお祖父さんは、自分よりも遥かに偉い神仏が、「怒る」という行為をしないのに、自分なんかのレベルで他人を「怒る」わけにはいかない、そんな事はおこがましい事だ、と仰ったわけです。

 私は人間ができていないので、私の狭い感覚でジャッジして「この人、おかしな事を言ってる、してる」と腹立たしく思う事があるのですが、そういう時はすぐに桜井さんのお祖父さんの話を思い出すようにしています。その人が本当におかしい事をしているなら、私なんかよりもまずは、神仏が怒るだろう。神仏が怒らず許しているのなら、私が怒る筋合いはない、と。

 ここで、では?と不思議に思われる事と思います。世の中には、「間違った事をしていると、その間違いを是正させられる出来事が発生する」ように見える現象が、沢山起こります。悪い事をすれば、結局めぐりめぐって自分に返ってくる、等という事は、当たり前の事として認識されているように思います。神仏がこういう事をしていないのなら、一体これは、誰がやっているのか。こういう事って、どう考えたらいいのか?と。

 これは、こういう事なのです。

 神仏とは別に、宇宙神のような唯一絶対の神(のようなもの)が存在するのだ、と桜井さんは書いておられて、私もそう思います。以下、この存在のことを、便宜上、宇宙神、と書きます。「神社の神様たち」と、「お寺の仏様たち」と、「唯一絶対の宇宙神」と、見えない世界の(善なる)存在というのは、この3つがある、という事です。

 神社におられるのはそもそも自然に存在していた様々な神様(人間が、修行して神様になる場合も)、お寺におられるのは仏様。神様は現世での人間を助けてくれるし、仏様はあの世で困らないように魂を助けてくれる。活躍する場を分けて、でもどちらも人間を助けてくださるわけです。 

 一方、宇宙神は全てを動かしているとんでもなく大きな存在で、人間だけを助けてくれるわけではありません。そこには全体を見た大きな仕組みがあり、一見バチが当たったように見える出来事も、その仕組みの中に組み込まれてるだけのこと。本来ではない歪みは、その仕組みの中できちんと処理されていくのです。

 世の中の不運は、罰あたり系のものではなく、ただの不運というものも沢山あります。例えば、天災、災害、地震、のようなもの。それらは、地球のバランスを取る為に宇宙神が起こしていて、神仏が起こしているわけではありません。災害というのは大きな宇宙の仕組みの中でバランスを取る為に起っている(宇宙神のなせる業)ので、それを神仏が止める事はできないのだと、桜井さんは書いておられます。ただ、神仏はそういう災害の中でも、できるだけ人間を助けようと動いて下さっていて、だから、災害の中でも奇跡的に助かる人というのはいるわけです。

 桜井さんは、日本の沢山の神社仏閣に出向いてそこでの知見を本に書いておられますが、それだけではなく、海外の聖地にも行かれて、日本の神と海外の神との違いなどについても、詳しく書いておられます。とても興味深く面白いです。言葉の一つ一つが心に響き、良い人間になりたいと思わせて下さいます。

 まあでも、こういう話をうさんくさい、と思われる方も多いのだろうと思います。これは個人の見解に過ぎず、桜井さんが書いておられる事や、私が考えている事が、絶対的に正しい、と主張したいわけでは全くありません。全く全然です。

 今日も一日、暑くなりそうです。夏バテしませんように。