書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

老後の趣味を決めた。

 老後の趣味を何にするか?というのが、ここ最近の私の悩み(?)でした。子育ても、必死だった時期は超え、今は日々のルーティンをこなしながら、淡々とやっている感じ。今後、これ以上忙しくなる予感はしません。私は仕事もしていないし、家事といっても3人家族ではしれているし。買い物や旅行、手芸園芸のたぐいにも、あまり興味はないのです。唯一の趣味と言えば読書ですが、これはもう趣味の域を超えていて、三度の食事のような人生の一部になっている。

 アラフォーの私にとって、人生は通常で考えれば、あと20~30年残っています。今まで生きてきた時間の約半分。なかなかの時間です。何か楽しい趣味はないかなーと、ずっと考えてきました。

 そして先日、とうとう、「これを老後の趣味にしよう!」と閃いたのです。

 これ、というのは、「神社仏閣巡り」。

 ありきたりではありますが、日本に数多く存在する神社仏閣。一つひとつ巡って、充実した時間を過ごしたいものだ、と、改めて思ったのです。

 私は神仏に対して信心を持っているほうですが、同時に今までは、「モノゴトの解決を、神仏に祈る事で済ませる」態度、生き方には、疑問を感じていました。ですので、普段は神社に行っても、仏壇に手を合わせても、常日頃見守って下さっている事への感謝だけを念じ、何かをお願いする事はありませんでした。神仏に祈る事でモノゴトを解決するやり方は、他力本願で嫌いだったのです。解決したいなら、自分自身が汗水たらして動くほうがいい、と思って来ました。神仏に祈念するのは、自分が限界まで頑張ってもどうしようもなくなった時だ、と思ってきました。

 ですが最近、この考え方が変わりました。

 神仏に祈っても、叶えてもらえる人と、もらえない人がいる。その違いは何なのか?と言えば、心根の違いです。神仏に守ってもらおうと思えば、自ずと間違ったことはできなくなります。自分を律して生きる事になります。また、自分のできる範囲で、人を助けようという意志も生まれるし、できるだけ怒ったり嫌な気分にならないように、気を付けるようにもなります。不快な事をされたら普通なら腹をたてますが、神仏に守ってもらおうと思えば、そういう浅い心根では無理ですから、できるだけ赦そう、赦せなくとも忘れよう、流そう、という気持ちになります。相手の為ではなく、自分の為に、です。

 そういう風に自分の心を律して生きる事は、なかなか大変です。心は外からは見えませんから、どれだけ自分が頑張っていても誰にも誉められません。頑張っている自分を知っているのは自分だけです。そういう状況では、私のような怠け者は、ついついラクな方へ流れてしまいます。自分を甘やかしてしまいます。

 しかし神仏に守ってもらおう、という意識を持てば、この「自分への甘え」へのストッパーになってくれるのだ、と、ある日気づいたのです。

 何もなければ、ただただなし崩し的に、自分を甘やかしてしまう私ですが、神社仏閣巡りを趣味として、様々な祈念をする予定をたてれば、せっかく旅費もかけ時間もかけて行くわけですから、叶えてもらえるように最大限努力するわけです。その努力が、日頃から自分を律する事です。

 神社仏閣に祈念する習慣を持つ事は、他力本願なようでいて、実は、自分を律し甘えから脱却する方法なのだと、ある日気づいたのです。

 最初に行くのは、四国の某お寺です。そこには、私の実家の庭に長年いて下さったある御太子様の仏像があります。実家に誰も住まなくなったのを機に、そのお寺にお世話になる事にしたのです。実家に縁のある御太子様なので、まずはそこからご挨拶に伺い、私の神社仏閣巡りのスタートとしたいと思っています。母に言ったら、久しぶりに自分も行きたい、と言うので、高齢の母のことを考えて、涼しくなった秋の良い日に、出かけて来ようと思っています。

 実を言うと、私は住んでいる地域の氏神様を信頼しておりまして、自分の力ではどうしようもない困りごとが起こると、解決してくれるように祈念に伺うのを習慣にしています。自分でできるだけ頑張る、それでも無理なら氏神様にお願いに行く、という順番で。そしてこの氏神様がパワーのある神様で、ほぼ100%叶えて下さるので、それで私は神社を信じるようになった、という経緯があります。実際に、一つひとつ叶えて頂いてきたからです。最近で言えば、病院に行っているのに繰り返しなってしまう膀胱炎を、治して下さいとお願いに行ったところ、病院で今まで出してくれていた薬を出してくれなくなり、その代わりドクターから「水を沢山飲め」と言われて飲むようにしたら、治った、という事があります。もし神社にお願いに行っていなかったら、もしかしたらドクターは、今まで通りジャンジャン薬を出して下さり、私は薬依存になり、膀胱炎は完治さず、持病になってしまっていたかもしれません。分かりませんが。

 まあ、ということで、老後の趣味が決まったので、これからどこの神社に行くのか、何を祈念するのか、色々考えて計画をたてたいと思います。とても楽しみです。