書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

常識は必ずしも正しいとは限らないので、守らないこともある。

 本を読んでいると、つい数年前の常識が、今では非常識になっている、という事によく気が付きます。数十年前、数百年前となると、非常識どころか、あり得ないでしょう、、、と言いたくなるような事が、以前は常識だったり。

 例えば、中世の西洋では、障害者は「面白い見世物」だったので、障害者施設見学ツアーというのがあって、入場料を取って観せていたとか。障害者も人間である、という感覚、人間どうし尊重し合わねばならない、という感覚がなかったのですね。

 もう少し前になると、暴力が悪いことだ、という概念もなかったので、食事中に口喧嘩になると、持っていた食事用のナイフで相手の耳を切り落とす、等という事もよくあることだったとか。今の時代は、暴力は犯罪だ、というところまできていますが、昔はそうではなかった。 

 西洋だけでなく、この日本でも、例えば戦前は、子供は親の所有財産で、子供に人権などなかった。だから、親が貧乏で食い詰めれば、子供を他人に売るのは全く合法事でした。今の常識からすれば悲劇的な事なので、悲劇として語られるけれども、以前の日本では子供を売る事は悲劇でも何でもなく、当たり前のことでした。

 子供だけでなく女性も、一人の人間として尊重されるようになったのはつい最近の事で、以前は女性には人権らしきものはなかったです。例えば以前は、西洋やアフリカでは、女性の性器の一部を切除し、女性に性的な快感を感じさせないようにする施術が、普通に行われていました。女性に性欲があると色々面倒だから。今から考えれば「酷い!」という事ですが、当時は酷くもなんともなかったわけです。当たり前のように「それがお前の為だから」と周囲に諭されて、女性は大人しく性器を切除されていたわけです。

 

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 常識は必ずしも、正しいとは限らない。今、常識だ、と思われている事も、別に真実正しい、というわけではない、と私は思っています。

 だから私は、常識でも、守る必要がないな、と個人的に思うことは、無理してまで守りません。常識を守らないと、色々不都合が起こる場合は、守っているフリだけします。つまり、嘘をついたり、誤魔化したり、うまく立ち回ったりするわけです。それでも、無理して常識を守ろうとするよりも、害は少ないと思うからです。

 ただ、常識とは関係なく、誰かを傷つける事、迷惑をかける事は、しません。私がその常識を守らなくても誰にも迷惑をかけない場合に限り、私はその常識を死守しようとは思わない、という事です。