書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

なんにもない一日を不安には思わない

 今の私の毎日には、特別なことは何もありません。そういう何も無い一日を、今の私は別に不安には思わないのです。けれど、少し前、30代から40代前半にかけての頃は、そうではなかったなと思い出します。あの頃の私は、何か特別有意義なこと、楽しいこと、のない一日だと、虚しくなってしまっていました。とにかく毎日、何か「用事」を作って、外に出ていました。

 何故、今の私は、何も無い一日を不安には思わなくなったのだろうか、と考えてみました。あ、今私はアラフィフです。

 今の私の生活に、どっかりと居座っているものが3つあって、それは「家事」と「育児」と「読書」です。

 とりあえず朝イチで、その日の家事を一気に片付けてしまう(何なら朝のうちに夕食まで作ってしまう)、その怒涛のような家事を終えると、なかなかの疲労に襲われます。

 午後は用事がなければ読書の時間になります。とにかく「読む」という事が好きで、読書しなかった日は、物心ついてから一日も無かったと思います。読書のおかげで、「新しいものを取り入れたい」という欲求が、十二分に満たされるのだと思います。

 これに、息子についてのあれこれが入って来るわけで、これが一筋縄ではいかないので、日々悩んだり考えたり、やってみて失敗したり、やり方を変えたり、戻したり。試行錯誤。外部の色んな人と接触する必要も出てきて、引きこもれません。

 「家事・育児・読書」だけだと心身が固まってしまうので、日課の散歩とストレッチでリラックスするようにしています。で、もうこれだけで充分なんですよね。一日にこれだけ詰め込んだら、これ以上はいらない感じ。「何か特別な事」なんかいらない、って感じ。虚しくもないし、不安にもならない。

 30代から40代前半の頃の私と、今の私、何が変わったのだろう?年のせいで気力体力がなくなった?確かにそれもあると思うけれど、それだけではない気がするのです。何かが大きく変わったのです。しいて言えば、外に向かっていたベクトルが、いつの間にか内に向かうようになったんですね。年齢と共にみんなそうなるんでしょうか。それとも私だけなのでしょうか。

 今、思いつきましたが、以前の私にあって、今の私には無いもの、それは「何かを成し遂げねばならない」という思いです。

 何か「私はコレをやった」と思えるモノを成し遂げねばならない、と、以前の私は強く思っていたように感じます。「何か」とは、人に自慢できる事とかそういうのではなく、自分自身で自分に満足できればそれでいいもの、なのですが、それでも「何かを成し遂げねば生きている意味がない」という風には、思っていました。だから日常生活をただ送るだけではなく、プラス「何か」をせねばならないと思っていた。

 多分、結婚したのも、出産したのも、犬を飼ったのも(もう亡くなってしまったのですが)、様々なお稽古事に通ったのも、何もかも、その「何か」を探す為だったように思います。

 でも今はもう、人生において「何かを成し遂げる事」は、必要ないと私は考えています。何かを成し遂げなくては産まれてきた意味がない、とはもう、思いません。思わなくなった今、何故以前はそう思いこんでいたのか、逆に分からないのです。ただ生きるだけでは、何故、物足りなく思ったのか、、以前の私、、不思議だ、、。

 生まれて、生きて、いつか死ぬ。それだけの事なんですよね。それだけで十分に、充実している人生だと、今の私は感じています。

 

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