書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

子供を信じる、とは。

 台風が来ているそうで、昨日から一気に蒸し暑くなってきました。じっとしているだけでも汗ばむ感じ。日課のウォーキングも、外歩きは危険な気がして、近所のジムのマシーンに切り替えました。涼しい中で歩くのは快適です。ただ、景色が変わらないので退屈なのと、マシーン歩きはなんとなく膝に悪い気がするんですよね。蒸し暑さがなくなったら、また外を歩きたいです。

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 「私は子供を信じています」という言葉について、今日は書きます。といっても、私は言った事はないんです。何故私が言わないかといえば、この言葉、対象が曖昧だから、です。子供の「何を」信じるのか、が定義されていないから。

 わざわざ言わないまでも、勿論私も子供を信じています。私が子供を信じているその対象は、「子供の未来を」信じている、という事になります。息子は必ず幸せになる、息子の未来には幸せしかない、と私は信じていて、そこに向かって行動しています。

 でも、一般的に「子供を信じる」と言うと、子供を大人かのように、完全無欠の出来上がった人間かのように扱って、「今現在の子供の全てが正しい事を」信じているように思います。私はそれには違和感があるんですよね。

 子供は大人ではないし、まだまだ未発達、不完全な人間です。経験不足から間違った認識を持ったり、間違った方向へ進んでしまったりします。自己というものがまだ出来上がっていませんから、感情も不安定で、他者の言葉を不用意に自分の中に入れてしまったり、他者と自己との境界線が曖昧です。悪意のある存在に、大人よりも簡単に丸め込まれてしまいます。そういう存在である子供の全てが正しい、としてしまうのは、危険だと私は思うのです。

 なぜなら、信じた結果、子供の言動が親にとって不本意なものであった場合、「子供を信じたのに、子供に裏切られた」となるからです。でもこれ、誰が悪いのか、と言えば、考えもなしに安易に「信じた」親が悪いと私は思うのです。子供に罪は無い。

 信じるのであれば子供の未来を信じ、今現在の子供については、慎重に見守って、助けるべきときは助け、働きかける事が、親の仕事だと私は思います。その助け方、働きかけ方は、上から押し付けるものではなく、また、不必要に責め立てるものでもなく、ただ淡々と必要な情報を与え、辛抱強く話を聞いてやり、的確に誉め励ますこと。それを日々当たり前のようにコツコツやっていく事だと思います。