同じ境遇でも、不幸に生きる人と幸せに生きる人がいる。分かれ目は何か、と時々考えます。正解などないと思いますが、やっぱりそれはその人の「心根」の部分ではないかと思うのです。
「心根」。耐えるべき時に耐えるべき事が分かっていて、耐える事ができる心。進む時に進むべき事が分かっていて、進む事ができる心。慎む時に慎む事が分かっていて、慎む事ができる心。芯にしっかりした平和の核を持ち、環境や状況でブレない心。
自分が幸せでいれば、周囲も幸せにする事ができるのは事実だし、自分が不幸になると周囲も不幸にしてしまうのもこれも事実。じゃあ、自分を幸せにするにはどうしたらいいのかと言えば、それは「心根」を保つ努力をし続ける、という事に尽きるのではないかと思います。その努力が結果的に自分を幸せにして、周囲も幸せにすることに繋がると思うのです。
自分勝手に私だけが幸せならそれでいい、という幸せの在り方ではなく。誰かの上に立つ事で、優越感という幸せを得るのではなく。
こういう心根を、優等生的なきれい事だとは、私は思わないのです。むしろ、計算高いぐらいに覚悟を決めないと、こういう心根は持てないんじゃないかと思う。
もちろん私も理想的な心根を持ててはいません。持ててはいませんが、持ちたいわけです。そっちの方向に行きたいと思っています。
明るくまっすぐに咲きたい、という感じです。