書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「ラクに生きる」ノットイコール「横着になる」

 私はもともとがせっかちなタチなので、気を緩めるとすぐに横着に走りがちです。でもって、横着をした結果、かえって二度手間三度手間になる事を繰り返し経験し、横着だけは止めようと、心がけているのですが、それでもなかなか定着しません。

 が、先日、やっぱり本当に絶対に横着は止めよう、と決意を新たにした事がありました。

 先日の早朝、気持ちのいい眠りを妨げる、ガラガラガッシャーンという大音響が、我が家に響き渡りました。何事???と思い、起き出して、音のした方へ行ってみると、夫がキッチンで途方にくれている。

 夫は前日、海外出張から帰ってきたばかりで、時差の関係で早朝に目が覚めてしまったそうで。コーヒーでも飲もうとお気に入りのマグカップを探した所、食器洗い機の中の奥のほうに鎮座していたのを見つけた。上から一枚一枚食器を取り出していくのが面倒だった彼は、奥に手を突っ込んで、無理やりマグカップだけを取り出そうとしたところ、手前の食器が雪崩のごとく落ちて来て、床で木端微塵に割れてしまったと、そういう事らしい。

 キッチンの床一面に、夕食の時に使った丸皿やらお茶碗やら、何やらかんやらが割れて散らばっておりました。

 そのまま回れ右をしてベッドに戻っても良かったのですが、これから出勤せねばならない彼の事を哀れに思い、掃除は私がしてあげたわけなんですけども。でも言いたい事はそこではなく、上のお皿を取り省く事なく下のマグカップを取ろうという「横着な行動」の結果が、これなんだなあと、床一面の割れ物を片付けながら、私はつくづく考えたのです。

 自分の横着さに対しては、アレコレ言い訳をくっつけて、正当化してしまう私です。大抵は、横着をしているとは思わず「ラクに生きてる私」「気を張らずいい加減に(良い意味で)力を抜いて生きている私」みたいに思ってたんですよね。いやいや、違う。それは「ラクに生きている」ではなく、愚かにも横着に生きている、って事だったんです。

 それが、夫の横着さの後片付けをしながら、くっきりと見えてきた「横着ってほんとうに駄目だわ」と。早朝に起こされた事による体調の悪さと、面倒な手間をかけやがってという腹立ちが、何故か夫に対しては向かず、まっすぐに、過去の自分の横着の数々に向かったのでした。

 何でも足を悪くした事にくっつけて考えがちな私ですが、足を悪くしたのも、もとはと言えば、私の横着さのせいだったと思います。運動が好きなくせに、その後のストレッチは面倒くさくてやらなかった事。紐のついた靴は面倒なので避けていたし、何なら踵を嵌めるのも面倒で、近距離なら踵のないミュールで歩きまわっていた事。紐のある靴なら最初から紐を緩めに結んでおいて、脱ぎ履きの時は紐を外さないでやっていた事。足に悪いことばかりです。だから故障を起こしたんです。

 横着、ダメだわ。それを痛感した早朝の出来事でした。

 眠りのおそろしく深い息子は、大音響にも関わらず熟睡を続け、いつも起きる時間ピッタリにぱっちりと目をさまし、いつもの通り起きたと同時に通常のテンションまで一気に覚醒して、元気にリビングにやって来ました。息子のこういう図太さは、私をとても安心させます。私にはない美点だとすら思います。あ、話がそれました。明るい話題で〆ようと思ったらこうなりました。今日はこのへんで。