書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

道途中④(ズルい母親だと思われたくない)

 私自身の子育てを書いていて、ふと、私が母にされた子育てを思い出した。以前にも書いたが、母は「私がして欲しい子育て」ではなく、「母がしたい子育て」をする人だった。基本的に子供を自分の下に置き、気まぐれに手を出し、気まぐれに叱りつけ、基本的には「面倒はごめんよ。何もかもうまくいっているわよね。うまくいっていない事なんか、私の耳にいれるんじゃないわよ」という、表面的にうまくいっているように見える子育て。

 一つ思い出した事がある。

 私が小学3年生ぐらいの時、お習字を習っていたのだが、隣りの席の子がうるさくて仕方なかった。うるさいだけではなく、しょっちゅう私にちょっかいを出してくるので、まともに字が書けない。その習字教室は大規模な所で、生徒数も多く教室も大きかったので、先生の目は生徒には届かない。先生は「書けたら持って来てね~」と言って、遠い一番前の席でずっと座っているだけの人だった。

 私は、家に帰って母親に「隣りの子がうるさくて字が書けないから、席を変えてくれるように先生に頼んで欲しい」と頼んだ。母は、ものすごく不愉快そうな顔になり、「隣りの子に『やめて』って言えばいいじゃないの」と言うだけで、何もしてくれなかった。私は悩んだ末、自分で習字教室に電話をかけた。小3の子供にとっては、震えるほど勇気のいる事だった。習字教室の電話番号を調べ、かけた。受付の人が出たので、曜日とクラスと名前を言い、担当の先生を出してくれるように頼んだ。担当の先生が出てくれたので、こうこうこういう理由で、席を変えて欲しい、と頼んだ。先生は「ああ、あなたの隣りのあの子は確かにうるさい子よね。分かったわ、来週席を変えてあげる」と言ってくれた。それを聞いて私が「あ、変えてもらえるんですか?ありがと、、、、、」と言いかけた時、隣りで聞いていた母がいきなり私から受話器を取り上げ、勝手に先生と話し始めたのだ。

 「先生、申し訳ありません。いえ、いえ、とんでもありません。迷惑だなんて、いえいえ。ちっとも。こちらこそ、いつも大変お世話になっております。先生、そんな、謝って頂かなくても。はい、ええ、こちらこそいつも。はい。どうも有難うございました。いえ、はい、失礼いたします」ガチャン。

 私が掛けた電話を、母が途中で勝手に取り上げ、そして勝手に切ってしまった。私は先生に御礼を言えなかった。言わせてもらえなかった。

 母は、一番面倒くさいところを、私にさせた。良い先生だったからよかったものの、難しい先生なら、面倒くさがられて邪見にされていたかもしれない。良い先生かどうかなんて、小3の私には分からなかった。だから母にも分からなかったはずだ。だから母は電話をするのを嫌がったのだ。面倒な事を言って邪見にされたり、面倒な親だと思われるのが嫌だったから。でも私が先生と話して、どうも物分りの良い先生だと分かった時点で、さっと電話を取ってしまった。そして、良い母親の顔をした。いいとこどりだ。母はずるい、と私は思った。これは一例だが、私の母は、そういう事をする人だったのだ。

 息子もそうだが、私も、どちらかというと虚弱な体質で、強くはない。体の面で、人より劣っている所が沢山あった。例えば視力は、小4でいきなり落ちて、黒板が見えなくなった。習っていたピアノの楽譜も見えなくなった。それでも私は、「見えなくなった」と母には言えなかった。言ったらどんなに不愉快な顔をされるのか、と思ったら、言わずに見えない事を我慢するほうがずっと良かった。ピアノの先生には、毎週こっぴどく叱られたが、母に不愉快な顔をされるよりもずっとマシだったのだ。同じ頃、アレルギー性鼻炎になり、ずっと鼻水が出続けて、かんでもかんでも垂れてくる状態になった。特に塾で勉強していると、鼻水がたれてずっとぐずぐずすすり上げるしかなく、先生に怒られた。「鼻をかめ」と。かんでもかんでも出るんです、と思ったが反論はできない。どうしてこんなに鼻水が止まらないのか、子供には分からない。鼻はいつも詰まった状態で不快だった。それでも母は病院に連れて行ってくれるわけでもなく、放ったら課されていた。私から母に、鼻が詰まって苦しい、どうにかして、と言う事はしなかった。言ったところで何もしてくれないし、不愉快な顔をされるだけ辛いからだ。

 視力の件は、学校の視力検査の結果を、親に学校が知らせてくれた。それで母はイヤイヤ私を眼科に連れて行き、眼鏡はぶさいくだから、という理由で、小学生だったがコンタクトを入れる事になった。私は眼鏡が良かったのだが、眼鏡をかける→目が悪い→完璧ではない子供、という風に周囲から思われるのが嫌だったようだ。母は私が周囲より劣る事を嫌がった。鼻炎については、中学生になって部活を始めて、沢山運動するようになったら自然に治った。

 私は、ずるい母親だと、息子に思われたくないのだと思う。いくら他人から、「良い母親だ」と思ってもらっても、子供から「ズルい親だ」と思われたら終わりだと思う。だからできるだけ真っ正直に、子育てしているのだと思う。

 ここから書く事は、ただのこじつけかもしれない。

 私は、ああいう子育てをされたからこそ、それがとても嫌だったからこそ、今、息子に対して、できるだけ正直でフェアな子育てを心がけているのだと思う。運命論だが私がこういう息子を授かる事がずっと前から決まっていて、だからこそ、私はああいう母親に、ああいう風に育てられたのかもしれない、と思う事がある。もっと子供の立場にたって育ててもらっていたら、私は、子供の立場に立つことの必要性に気付かなかっただろう。そうしたら、息子を育てる事についての心構えもできず息子を悪者にし、自分を被害者にし、ずっと早い段階で心が折れていただろう。

 全ては繋がっている、と考えることで、私の心は落ち着くのだ。これがこじつけでも構わない。害はないと思う。