書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

道途中③(沢山のやりたくない事と恥と失敗←私自身の)

 息子の子育てについて引き続き書いている。

 息子の子育てで、私は基本的にいつも何かしら歯をくいしばっている。やるべき事は分かっていても、溜め息が出るほどやりたくない事も多いし、私の弱点を見事に白日の元に晒されるような失敗も数知れない。

 やりたくない事の筆頭に挙げられるのは、何と言っても学校との斥候だ。斥候というか、担任の先生への問い合わせやお願いだ。それをするのが嫌で嫌で、、。普通の子供なら教室で先生に説明を受けたら充分理解して来れる事が、息子にはできない。なので息子は家に帰って来て「今日、先生がこんな事を言ってたけど、アレってどういう意味かな」と私に聞いてくる。私が学校にいたわけではないのだから、私に分かるわけがない。覚束ない息子の、とてつもなくぼんやりした話をそれでも丁寧に聞き出して、なんとか話の概要を掴み、担任に電話か手紙で質問するしかない。これが、1つではなく、2つも3つも重なる時がある。それも、同じ日に起こればいいが、毎日何かしら起こる、という事がある。すると、毎日学校に問い合わせの電話をせねばならない事になる。学校からしたら「そんな事、聞いてくる?常識で考えたら分かるでしょ?常識のない愚かな母親だ。馬鹿で過保護な母親だ」と思われる事は5万パーセント分かっている。だから苦痛でしかない。

 そんなの、子供自身に先生に質問させたらいいではないか?と思われる方がおられるだろう。私も、子供が自分で聞けるなら、子供自身に先生に質問させるのだが、これは子供に聞かせてもラチがあかないと思う事が多いのだ。息子の質問は、慣れない人間が聞いても、一体何を聞こうとしているのか要点が掴めない事が多いのだ。質問されたほうはイライラする。ただでさえ忙しい先生が、要点のつかめない質問をダラダラされたら、息子に対して怒りを爆発させる可能性すらある。母親の私ですら、息子の話を理解するのに、多大な時間と手間と忍耐を必要とするのだから。それを先生にさせるわけにはいかない。息子のあちこちする話をじっくり聞き、要点を掴み、先生が瞬時に理解できるような形に整え直して質問するのが、私の役目なのだが、それだけの忍耐と手間をかけて、私が学校から頂くのは「愚かな母親」というレッテルなのだ。時々私は、他人から馬鹿にされる為に、この子を育てているのかな、と思う事がある。

 先週も、立て続けにほぼ毎日、学校に問い合わせたりお願いしなければならない事が発生した。列挙してみるが、本当にバカバカしい事で、書いていて泣けてくる。

月曜日:体育の時間に貰った「健康手帳」がなくなった、と息子が言う。「健康手帳」って何?と私が聞いても、息子はうまく答えられない。体育の教材なの?と聞いても、「分からない」と言う。「必要なものなの?」と聞くと、「何か月かに1回提出しないといけないものだ」と言う。とにかく、必要なものを失くしたらしい。私の手元にある教材一式リストには載っていない。よく分からないが、新しく購入し直すしかないと私の中で結論ずけ、先生宛に「紛失したので再購入させて頂きたい」旨、手紙を書き息子に預けて先生に渡してもらう。

火曜日:担任から「健康手帳」は事務室に再発行手続きを出してもらったら再発行できます、という電話を頂く。用紙は息子が持って帰るとの事。学校から帰って来た息子から用紙を受け取る。記入して明日事務室に出しに行くように言う。どうやら無料で配られる冊子のようなものらしいが、この時点でも私には何なのかよく分からない。そして新たな問題発生。今度の校外学習は私服で行くのだが、「ジャージは不可」と先生が言った、との事。ただ息子いわく「良いジャージもある」と先生が言っていた、と。「良いジャージってどんなジャージ?」と聞くと、「それは分からない」と息子は言う。息子は私服ではボタンやファスナーがついたボトムスは大キライで、ウエストゴムのスウェットしか履かない。これは良いジャージになるのかどうか。普通に考えればこれはジャージだが、「良いジャージ」に入るのかもしれない。私には判断がつかない。仕方なく、息子に息子のスウェットを明日学校に持って行かせて先生に見て判断してもらう事に。「手紙も書いて」と息子が言うので、手紙も書いて持たせる。電話し頂くのが恐縮なので「本人に結果をお伝え下さい」と書いておく。

水曜日:担任から「あれは明らかにジャージです。あれでは駄目です」と電話を頂く。見れば分かるだろう、と言わんばかりの口調で落ち込む。「分かりました。チノパンのようなもので行かせます」と答える。先生の口調から、最初からそうしたらいいのに馬鹿なのか、この親は?という感じが見える。ウエストがゴムのボトムスしか履きたがらないのです、とは言えない。ただの言い訳だから。夕方帰って来た息子をユニクロに連れて行き、なんとか息子でも履けるパンツを探して買う。息子が私に何度も確認してくる「これ、今度の校外学習の時だけしか履かない。今度の校外学習用だよね」と。たった1日履くだけのパンツに3000円払って帰る。家で履かせてみたら、ウエストのボタンがうまく外せない。練習する時間ももうない。ボタンはせずに、ベルトで誤魔化すしかない。ああ、本当に本当に情けないし惨め。そしてこの日、またもや新たな問題発生。息子が突然「明日、英検がある」と言うのだ。初耳だ。学校で英検3級を受けるらしい。全員が強制で。「英検って何するか分かってるの?」と息子に聞いたが、案の定分かっていない。筆記とリスニングと面接があるのよ、と説明しながらパソコンで過去問を検索してプリントアウトする。実際のモノを見せて、こういう問題をマークシートに書いていって、あと、リスニングはこういうのが出て、面接は英文を読んで質問に答える形なのよ、と説明していく。もう明日の話しなので、練習する時間がない。初めての事について要領を理解するのが難しい息子の事だから、練習無しで受けたら落ちる事は確実だ。あーあ、と溜め息がでる。息子の英語の力なら3級など受かる筈だが、練習無しで本番となると、まず不合格だろう。「どうしてもっと早く教えてくれなかったの。練習できたのに、と息子に言うと、「そんなに大切なテストだと思わなかった」と言う。確かに、息子の学校はしょっちゅうテストをしているのだ。模試やら実力テストやら進研ゼミやら何やら。定期テスト以外は準備のしようがないので、いちいち私も聞かない事にしていたのだ。息子は英検もその一つだと思い、私には言わなかったらしい。でも、英検は予行練習が必要だ。でもその事を、息子が知る由もない。息子に罪はない。更に、英検がある事は、学校からもらっていた年間予定表にも書いてある事を発見した。更に落ち込む。何故、見落としたのだ、私は、、、。全て私の落ち度だ。息子にかわいそうな事をしてしまった。

木曜日:学校から帰って来た息子が、「明日の体育で、倒立前転やるらしい。僕しないほうがいいよね」と言う。息子は発達障害からくる筋肉の弱さがある。足の筋肉は、日頃からよく歩かせて育てたので、何とか人並みになったが、腕の筋肉は本当に弱く、体を支える事は不可能だ。それを知らなかった小学校の時、無理やり学校で倒立をさせられて首をくじいた事があり、それ以来、学校で倒立関係の運動がある時は、私が学校に「倒立はさせないでくれ」と手紙を書く事にしている。しかしこの文面にはとても神経を使う。うまく説明しないと、ただの過保護親になってしまうからだ。というか、どう説明してもただの過保護親になる。一気に気が重くなったが、仕方ない。何とか手紙を書きあげ、息子に持たせる。連日担任に手紙を出している、という事に気づき、更に落ち込む。子供自身に直接先生に言わせる、という手段は取れない。それをすれば、それこそただのサボりだと疑われる可能性が高いからだ。親からの一筆は必要だ。だが、息子には「出来ない」事が多すぎて、親から一筆せねばならない事が多すぎるのだ。担任の先生には、息子のような面倒くさい生徒の担任をして頂いて、本当に申し訳なく思う。息子が手間のかからない生徒だったら、どんなにいいか。面倒くさい生徒で本当に申し訳ない、という気持ちでいつも一筆書いている。つらい。

・・・・まだま続くがこのへんで止めておく。自粛、、、。何の為にこれを書いたのか、我ながら不明だが、キレイ事ではないことが書きたかったのかもしれない。

 本当はもっとクールな母親になりたかった。子供の事には一切口出ししません、子供の自主性を大切にします、というような。学校なんかにはまず連絡なんかしない母親。子供のことは学校を信頼してお任せしていますので、と格好よくシュッとしている母親に、私はなりたかった。今の私は、学校と担任の先生に、しょっちゅうぐちぐちと泣き言を言う、面倒くさいうっとおしい母親だ。他人から、「面倒くさい」と思われるような人間に、自分がなるとは思わなかった。私は息子の事を、心の底から「ふがいない」と腹立たしく思う事がある。

 でも、いつかは、しっかりした人間に育てあげるのだ、と思っている。どんなに時間と手間がかかっても。その為に、今、人様に頭を下げ続け、恥をかき続け、面倒な人間扱いされ続けている。これでいい、と思っている。今の息子はふがいないが、いつかはしっかりした人間になる、今沢山の「やりたくない事」をこなしているのは、その目標への道筋なのだと信じている。正解かどうかは分からないが。道途中だから。