書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

道途中②(精神面)

 息子の事についての続き。

 勉強は出来るようになったが、友達は作れない。前回そこまで書いた。今回は、精神面について書きたい(先にお断りしておくが、発達障害児の全てがこうだ、と言うわけではなく、あくまでも息子についてだけ書いている)。

 息子は不安感が強い。それが募ると強迫性障害に近くなってしまうので、気を付けないといけない。

 息子の不安は、生まれつきの多くの事について過敏さを持っている事が原因だが、それ以外にも、息子の「当たり前」と、他の人達の「当たり前」があまりにも違い過ぎる事からくる違和感が積もり積もったものであるように、私は感じている。息子には、他の人がどう感じるのか、考えるのか、予測がつかない。他の人の言動が予測がつかない。自分もこう感じるから、相手もそうだろう、という事が通用しない。それで、先の事が何もかも不安になってしまうのだと思う。

 息子は不安になると、何よりもまず、私に話してくる。それも、延々と何時間も。話すというよりも、質問を繰り出してくる、という感じだ。過去記事にも書いたが、自分が不安に思っているありとあらゆる事を言い挙げて「全て大丈夫よ」という答えを私から聞きたがる。それも、「全て大丈夫よ」というような雑な答えでは納得せず、何故大丈夫なのか、その根拠は何か、を懇切丁寧に説明してもらいたがる。しかも、一通り説明してもらっても納得することはなく、新たに少しだけ切り口を変えて同じ内容の質問を繰り出してくる。それにもまた、懇切丁寧な答えを与えて安心させると、また新たに別の切り口で同じ内容の質問をしてくるので、それにも答える。という事を延々繰り返すのだ。3時間も4時間も。

 息子の話は質問だけでなく、今自分が辛い事についても話してくる。自分は今、どんなに辛いか、これが死ぬほどしんどい、という風に。息子が苦しんでいる話を聞かされるのは、親としては本当に辛いのだが、私が逃げるわけにはいかないので、徹底的に聞く。そして、それを解決する為に、徹底的に手を打つ。過保護な親と言われても、クレイマーと言われても、息子がしんどいと言っているのだから、私は息子を守るだけだ、と割り切っている。

 例えば、高校生活で息子が辛いのは、授業中にクラスが煩い事だ。お喋りを止められない生徒さんがいて、授業中もずっとお喋りをしているらしい。最初は注意していた先生達も、とうに諦めて放置しているらしい。そのお喋りの声が煩くて先生の声が聞こえないのも辛いし、絶えず耳に入って来るお喋りの声に頭が痛くなるのだそうだ。息子が、クラスの煩さに耐えられなくなり学校に行けない、と言う時は私は、息子に学校を休ませたし、また学校側に頼んで、年度替わりに息子を別のクラスにしてもらった。新しいクラスには、煩い生徒さんはいないので、息子は落ち着いて学校に通えるようになった。

 これは、ほんの一例だが、学校を休ませる事や、クラス分けに親が口出しする事は、親として非常識と言われても仕方ないと思う。でも、大切な事の優先順位を考えた時、息子が心を壊さずに学校に通い続けられる事が、何よりも大切だと私は思っている。その為に非常識な行動に出ざるをえない事もあるが、仕方ないと思っている。勉強よりも、友達を作る事よりも、まずは心を壊さない事が、学齢期の発達障害児には最優先に考えてやらなければならない事だと思っている。

 私のこの方針が正しいのか間違っているのか、私には分からない。ただ、今のところ息子は落ち着いて学校に通えている。特につらいこともないようだ。幼児の頃、中度の広範性発達障害(今の診断ではMSD)と診断された子供が、まがりなりにも健常児と混じって学校に通い続けられている事が、素晴らしいと私は思っている。息子も頑張っているし、周囲の方のご理解と支援無しには通い続けられていないと思う。但し今も道途中なのだ。これからも沢山のことがあるのだろう。負けない強さを持ち続けたい。