書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

心の穴の存在

 心の穴って、誰にでもあるのだろうか。私にはあるのだが。

 いつもは淡々と満ちている気持ちが、ふと、もの悲しさやつまらなさで穴が空いているように感じる時。気が晴れない気分。思いっきり散財するか、遊びにでもいかないと気が晴れそうもない気分。けれど、実際に散財したり遊びに行ったところで、気がまぎれるだけで、実際にはその穴がふさがるわけではない事も、この年になると分かっている。

 この心の穴の正体は、何なのだろう?と思う。

 心=脳、だという事はすでに定説になっているわけなので、とすると、この心の穴は脳の何かの不調、という事になるのだろう。

 気分の良さを生じさせる脳の機能はドーパミン等の快楽ホルモンで、脳にはこの快楽ホルモンの受け皿(受容体)がある。受容体の数は、多い人と少ない人がいて個人差がある。人種的に言えば日本人は少ない方だし、鬱傾向のある人は少ない方だ。受容体が多ければ、生じた快楽ホルモンが少しであっても、大量の気分の良さを感じる事ができるが、少なければその逆らしい。

 私はペシミスティックな人間なので、多分少ない方なのだろうと思う。だから何?というわけではないが、少ないという事を自覚して対処して生きるほうが自分がラクだろうと思うのだ。

 心の穴は脳の不調だと書いたが、不調が起こるには何かのきっかけがある。それはちょっとした不幸だ。体調不良だったり、誰かに何か言われた事だったり、家族に困りごとが起きた事だったり、自分が失敗をやらかした事だったり。「あーあ」とため息をつきたくなるような事がきっかけとなって、私の脳は不調を起こすのだろうと思う。つまり、もともと少ないドーパミン受容体が、更に働きを悪くする、というような。

 受け皿が僅かしか働かないから、気分の良さを感じにくい。全然足りない、という事になる。まさに心に穴が空いた状態。

 受容体の数は増やせないから、脳に不調を起こすきっかけを作らないように気を付けるしかない。

 体調不良を起こさないように日常から気を付けるとか。誰かに何か言われないように言われそうな人は避けるとか。失敗は極力しないように慎重に暮らすとか。このへんは自助努力でなんとかやれるのだが、しかし、問題は家族の困り事だ。

 人によっては、家族と言えど、自分以外の人間なのだから一線を引く、という考え方をする人もいる。私は私の人生、子供は子供の人生、というように。子供が泣こうが困ろうが、私の人生には関わりない、みたいな。冷たいようだが、自分の心(脳)を守る為の方策なのだろうと思う。

 ただ、私にはそれはできない。一つには、子供を放置していれば、最終的にはのっぴきならない状態にまで悪化する可能性があり、それは結局私の首を絞めかねないからだ。夫についても同じだ。家族は同じ船に乗っているのだから、私は私、あなたはあなた、勝手にやって、というわけにはいかない。だが、同時に私自身ではないから、失敗しない為の自助努力を私がするわけにもいかない。自助努力をするように促す事すら難しい。そういうものは反発を招くだけだ。

 となると、自分の脳を快適な状態に保つ為に、私がやれる事をやっていくしかない。ものの本によれば、やれる事は沢山あるらしい。基本的に、「快適だな」と感じる事をやればいい。充分な睡眠、良い食事、きれいな音楽や景色、気持ちのいい入浴、楽しい会話、心地よいマッサージ、等々。極端な散財や遊び、ではなく、程よい心地よさを追うのがポイントのようだ。

 私は私の人生、家族は家族の人生、とそこにスパッと線を引いてしまう事で自分の心を守るよりも、心を家族に開放して彼等の不調を共有しつつ、それで受けた不調の傷を日々の心地良さで癒して修復していく、そんな生き方が私はしたい。

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 たまに海を見に行くのも心地いいことの一つ。近場にも結構きれいな海があったりする。

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