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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

パーソナルスペースとくしゃみ 

 あまり知らない人が近くにいると、気になるというか疲れるというか、総じて快適ではない。知っている人でも、好ましくない人とは、距離が離れていないとなかなかしんどい。多分これは誰しもがそうだろうし、パーソナルスペースは広く取れれば取れるほど、快適に感じる。

 「くしゃみ」は、パーソナルスペースを拡張する体の自然現象だそうだ。くしゃみをすると、周囲との間に分かりやすい壁を作れるからだそう。慌ただしい人間関係でパーソナルスペースを確保したいという心理的欲求が生まれた時、人はくしゃみをする事があるそうだ。

 それを聞いて、なるほどな、と思った。私の夫と私の実母は、時々大きなくしゃみをたて続けにする事があるのだが、手で鼻や口を覆う事もなく、思いっきり「ヘクショーン!」とやるのだ。しかもそれを何度も何度も繰り返す。「鼻でもかんだら?」と声掛けしても、「大丈夫。大きなくしゃみをするのが気持ちいいから」といって、「ヘクショーン!」「ヘクショーン!」と気が済むまでやり続ける。鼻をかめば終わる話なのに、あえて鼻をかむ事なく、むしろ気が済むまでくしゃみがしたくてしている様子が見てとれる。周囲に鼻水をまき散らしながら「どうだ!ここが俺(私)のパーソナルスペースなのだ!」と主張しているように、言われてみれば見える。

 いずれにしろ近くにいて、あまり良い気はしないので、夫や実母のくしゃみが始まったら、私は部屋を出る事にしている。

 パーソナルスペースを押し広げる行為は、ある種のマウンティングに近いのかもしれない。大きな音でくしゃみを繰り返しされると、マウンティングされた時のような不快感を感じるからだ。彼等だとて、相手が私ではなく、目上の気を遣わねばならない人だったら、鼻や口を手で覆って、極力ボリュームを下げてくしゃみをするはずだ。相手が私だから、私の不快感より、自分の欲求を満たす事を優先させるのだ。

 大きな椅子、広い部屋、広い家、広い庭、広い車、広いオフィス、、どれもステイタスを表す事から、その広さが快適さの目安になる。それがパーソナルスペース。私が休日を苦手とするのは、家の中での私のパーソナルスペースが、家族の存在によって狭められるからに他ならない。電車の中やそのへんのベンチでも、少しでも隣りの人と距離を置きたいのも、そのせいだ。

 ただ、いつも思うのだが、狭い場所で自分のパーソナルスペースを広く確保しようと画策する人は、みっともない。誰しもそういう欲求があるのだから、自分の欲求だけ優先できると思いこむ人には気分が悪くなる。夫や実母のくしゃみにも、腹がたたないと言ったら嘘になる。

 誰かと限られたスペースを取り合う事ほど、空しい事はない。誰かとマウンティングし合う事ほど、無意味な事はないのと同じだ。だが、不思議な事に、わざわざ狭いスペースに乗り込んで行って、自分のパーソナルスペースを拡張しようと頑張る人がいるし、わざわざ誰かと自分を引き比べて、相手の頭を押し下げ自分が上に出ようとする人もいる。そういう行為で人はおそらく、何がしかの快感を得る事ができるのだろう。夫や実母のくしゃみもしかり。

 私は、できるだけ、混みあう時間帯には公共の交通機関に乗らないようにしているし、休日に家で過ごす時はリビングより自室にいる事が多い。そんなに広いスペースはいらないが、自分が快適だと感じられるだけのスペースは確保していたい。でも、誰かのパーソナルスペースを奪うという事は、できるだけしたくない。

 不思議なもので、好ましい人といる時は、パーソナルスペースという概念が消えてなくなる。好ましい人とはマウンティングもしない。好ましい人の存在は、自分というペルソナの内部に入り込んでいるのだろうと思われる。