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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

ネット発信依存

 やっと長いGWが終わり、日常が戻ってきた。私は日常が大好きで、長期休暇は苦手だ。私と同じタイプの主婦の方もおられるかもしれないが。今日はまだ、長期休暇の名残りが全身に残っていて、なかなかいつもの調子が出ない。長期休暇の名残りというのは、常に家族が近くにいる事に対する緊張感だ。家族がいれば何をするのも誰かの都合に合わせる必要があるから、何一つ一気にできない。切れ切れになっている事を忘れずに最後まで仕上げる事に、神経を遣う。これも緊張感の一つだ。

 あと、夫は少し一人で旅行に行ってきたのだが、旅行期間も朝昼晩とスカイプをしてくるのだ。そもそも私はスカイプが苦手だ。夫は、自分の様子を家族に知らせたいという、いつものアレで、良かれと思ってというやつで、スカイプしてくるのだが、子供はともかく私は夫の旅行先での様子など、別に知りたくない。その上電話と同じで、100%相手の都合でこちらの時間に割り込んでくる。家事を終えてやっと自分の時間だと本など手にとり、集中して読み出し面白くなったところで入って来るスカイプの音。子供が出るし、そしたら私も画面に入らないわけにはいかない。せっかくの楽しい読書を中断されてとてもとても不快なのだけれど、ふくれっ面をするわけにもいかない。気持ちをそのまま顏に出せないこと。これも休日の緊張感の一つなのだと思う。

 そんなこんなで、私の全身には、まだまだGWの名残りの緊張感がある。この緊張感があるうちは、自分が自分でないような落ち着かなさを感じてしまう。何をしても自由な時間のはずなのに、何一つ手に着かず、同時にあれもこれもせねばならぬと焦りだけを感じる。早く日常の感覚に戻って、時間を普通に過ごせる自分に戻りたい。いつもだと、数日で戻るので、明日か明後日には落ち着いている事を祈る。

 話は変わるが、先程人様のブログで、「ネット発信依存」という言葉を拝見した。ネットを使って仕事をしているわけではないのに(発信する事に何がしかの金銭的なメリットはないのに)、毎日のようにネットで何かを発信せずにはいられない人のことを指すらしい。まさに私だな、と思った。その方は更に、何を発信するかも問題だと書いておられた。あたりさわりのない事なら良いが、身内(家族)をネタにして書くのは、止めたほうがいい、と。いやいや、まさに私のことではないか。そうか、家族の事を勝手にブログに書くのは良くないのか、と改めて自分の行いを振り返ってみた。

 なぜ私は、ブログを書いているのだろう。それも、主に自分や家族の事をネタにして。

 そもそも私は、人様のブログを読むのが好きだ。良い事ばかり、或いは悪い事ばかり、偏って書いておられる方よりも、良い事も悪い事も両方を書いておられる方のブログが好きだ。それが自然な在り方だと思うから。良い事ばかりの人生なんてあり得ないし、悪い事ばかりの人生もあり得ない。良い事ばかり書けば羨ましがってもらえるし、悪い事ばかり書けば被害者にまわれる。だからわりと人は、ネガかポジか、どちらかに偏ってしまいがちだと思う。だからこそ、そのどちらにも偏らずに、フェアに両方を書いておられる方のブログが好きなのだ。そういう事もあるのか、なるほどそういう風に考えるのか、と感じながら読むのが楽しい。一般的な日常では、人はブログ程正直には気持ちや物事を語らない。ブログだからこそ知る事ができる人生の状況や人の気持ちがある。

 ところで、ただ読んでばかりいると、何か後ろめたい気がしてくる。人様の事情だけ盗み読みして、自分は安全な場所でぬくぬくしている嫌な奴、と自分の事を思ってしまう。それで、読ませて頂いている事に対するバランスを取る為に、自分でもできるだけフェアに私の人生事情を書いているわけなのだが、これがネット発信依存と言われたら、確かにそうだなあと思う。また、家族の事をネタにするのも良くない(家族が知ったら良い気はしない)と言われたら、それもその通りだなあと思う。

 でも、反論を書くようで申し訳ないが、私のこんな人生事情・気持ちでも、知りたいと思う方がおられるかもしれない。日常生活で私は、自分の事情や気持ちなど、まず人に話さない。ブログだから書いている。だから、知りたいと思う方に、ブログという手段で届ける事ができることは、良い事ではないかと思うのだ。

 ブログという手段がなければ、人様の深い人生事情や正直な気持ちを私が知る事はできないし、私のものを誰かに届ける事もできない。ネット発信依存も、一概に悪いとは言えないのではないかと、思ったりするがどうなのだろう。

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