書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

子供を思い通りに動かそうとする事

 私個人の感想だが、子育てで行き詰る原因になりがちなのは、「親が子供を自分の思い通りに動かそうとする」事ではないかと思う。こういう書き方をすると、明らかに親が愚かなように聞こえるが、実際はそうでもない。

 例えば。今は晴れていても雨が降る確率が高い日の朝。親が子供に、「傘を持って行ったほうが良さそうよ」と声をかける。子供によっては素直に折り畳み傘を鞄に入れる子もいるだろうが、子供によっては、親に言われた事で逆のバイアスがかかって、「傘なんて持っていかない」と頑として言い張る場合もある。若干の言い争いがあり、子供は傘無しで登校した。結果、予報通りその日は午後から雨が降り、子供はびしょ濡れで帰って来る事になった。びしょ濡れの子供を見た時の親の気持ちというのは、一言では言い表せない。徒労感、空しさ、無力感。

 子育てをルーティン仕事のように理屈で片づけられるものだと考えておられる諸氏は、こういう時、「自分の子供が天邪鬼だと知っているのなら、子供への声掛けをあえて逆にすればいいのに。傘を持って行って欲しい時は、『雨が降りそうだけど、天気予報は当たらないから、傘は持っていかないほうがいいよ』と言えばいいのに」と仰るだろう。が、子供はロボットではないので、そう理屈通りにはいかない。

 例えば、そもそも傘を持っていく、という事は、子供には「嫌な事」なのだ。重いし面倒だから。たいていの子供は、「嫌な事」を親から「しなさい」と言われた時に、天邪鬼さが発動する。が、「嫌な事」を親から「しなくていい」と言われたら、これ幸いとそれに乗っかる。そこで天邪鬼さは発動しないのだ。天邪鬼な子供でも、「傘を持っていかなくていい」と言われたら、持って行かないのだ。そして「持っていけ」と言われたら、持っていかない。結局、持っていかない。これは、傘だけでなく、他の多くの事に言えると思う。勉強しかり。身だしなみしかり。今すぐお風呂に入る入らない論争しかり、、、。

 結局のところ、親の思い通りには、子供は動かない(動く子もいる)、という事なら、いっそ、子供のする事には一切口出ししなければいい、子供を見ていたらイライラするから、いっそ子供を見なければいい、という方向に行く人もいる。いわゆる、放任主義。親もラクだし、子供の天邪鬼さも発動されないから、平和は平和だ。でも、子供だけの力で世の中を渡っていかせるという子育て方法は、子供にとって大きなハンデとなるのは間違いない。子供の知見は限られているし、そもそも子供の脳は、先々を読んで今動く、という力に乏しいからだ。子供には「今」しか見えていない。先見性はまだ未発達なのだ。従って、親の知見と先読み、という二つの援助をもらえない子供は、取り返しのつかない状況になる事がある。失敗は成功の元、等というレベルではなく。

 親に反抗的で一日中グズグズと面倒くさい、不登校の高校生を持つお母さんが、「これ以上子供の面倒を見る自信がない。さっさと高校辞めて、仕事について、家を出て行って欲しい」と言っていた。気持ちは分かる。彼女はかつては放任主義でかつ、自分の感情を優先するお母さんだった。子供の面倒をみ始めたのは、子供が不登校になってからだ。

 放任主義の人というのは、私の感想だが、子供の感情には無関心な人が多いように思う。子供の感情に注目できる人は、放任主義にはならない。つまり、放任主義で親からの手助けを得られなかった子供というのは大抵、自分の感情に寄り添ってもらっていない。二重三重のハンデだ。そういう子供は、自分だけの力で人生なんとかせねばならず、当然負荷が大きい。強い子は乗り切るが、弱い子はその負荷に負けてしまう。私が「取り返しのつかない状況」と言うのは、こういう事だ。

 でもこういう子の親は、最初に書いた「子供を親の思い通りに動かそう」とはしていない。むしろ、何でも子供の自由にさせている。子育てをルーティン仕事のように理屈で片づけられるものだと考えておられる諸氏には、ブラボーと誉めて頂けるような、子供の天邪鬼さを逆手に取った子育て方法だ。言って聞かない子なら、そもそも言わなければいい、というヤツ。でも、子育てはそんな単純にはいかない。Aと入力したら、いつもいつもBと出る、というような機械ではない。

 子供はナマモノなのだ。そしてそもそもが、とても自己中心的な存在なのだと私は思っている。子供に、大人と同じような寛容さや包容力、独立心や自己犠牲心、自己鍛錬力、忍耐力等々を求めてはいけない。子供は、不寛容であり、心が狭く、誉めてもらう事を必要とし、自己犠牲心は少なく、自らの力だけで自己鍛錬する事は難しい。放ったらかしにしておいたら、自動的に人間的に成長する、事はまずない。人間的に成長しなくても生きてはいけるが、人生そんなに甘くはない。人生のどこかで、必ず死ぬほど辛い時期が来る。人間的に成長していない子供は、その負荷に負けてしまう。

 親は一体、どうしたらいいのだろう。口を出す事もできない。かといって、放任もできない。

 答えは、それぞれの親が、自分で考えるしかないのだと思う。そこに親自身の人間力が活かされるのだと思う。子供に対してどう対応したらいいのか、苦しい場面にぶち当たる時々に、「私は今、人間力を試されている」と認識する事が大事かもしれない。感情に流されず奥歯を噛みしめ、今どう動けばいいのか、何を言えばいいのか、何に耐え、何を待てばいいのか、自分の持つ人間力の全てを総動員して立ち向かう事が、子育ての基本ではないかと、私は思っている。

 そんなの親に厳しすぎる、と感じる方もおられると思う。また「そこまで親が自己犠牲に走らなくても、子育てもっとリラックスして楽しんでも、子供はちゃんと幸せに育つよ」と仰る人もおられると思う。それらのご意見は正しい。その通りだと思う。色んな大人がいるように、色んな子供がいる、というだけの話なのだ。育てやすい子、強い子、そもそも人間力に優れている子、の親であれば、リラックスして楽しい子育てで何の問題もない。

 自分の子供に合わせた子育てをすればいよい、というか、するしかない、という事を私は書きたかったのだ。「親自身がしたい子育て」ではなく、「親自身が出来る子育て」でもなく、あくまでも「自分の子供に合う子育て」という事。そしてそれは、子供を親の思い通りに動かそうとする事の、対極にある。