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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

やんわり系の注意を外して受け取る人

 (ずっと子供に勉強を教える事について書いてきて、少し飽きたので(すみません)、中断して別の事を書きます。また中断を終えたら、勉強ネタに戻ります<(_ _)>)

 「人から注意される事」というテーマが私は好きで、これについても結構書いている気がするのだが、最近聞いて、ふーん、と思った事があった。ある人(Aさん40歳)が、彼氏さん(30歳)から注意された時の受け取り方について、こんな風に話しておられた。年齢は書く必要なかったかもしれないけど、背景として必要かなと思って書いた。状況はこんな感じ。

 Aさんがスマホを見ながら食事をしていたら、彼氏さんに「食事中にスマホするなんて。子供みたいだな」と言われた。そこでAさんは「私、子供だもーん。えへへ」と可愛く(本人弁)返した。

 このご自身の対応について、Aさんは、「私って、拗ねがなくてすごくナチュラル」と自画自賛しておられた。Aさん曰く、拗ねがある人はこういう風に人から言われたら、「怒られた・責められた」と感じて、過剰に反応しがち(反論したり、逆に開き直ったり)だけれども、自分には拗ねがないので、言われた文言をそのまま素直に受け取る。彼氏は「子供みたいだね」と言っただけ。別に注意してもいないし、責めてもいない。ただ「子供みたい」だと。だから、「うん、そう、私は子供なの」と私が認めたらそれで終わり。苛立ちも言い返しも何もない。平和。という事らしい。

 私は「いやいや、違うやん」と思った。

 「子供みたい」と言う言葉を発した彼氏さんの意図は、「君は子供みたいで可愛いね」ではないと思う。「スマホ見ながら食事するなんて、不愉快だから止めて欲しい。君が子供ならまだ許してやってもいいが、もう大人なのだから、マナー違反は謹んでくれ」という意図だったと思う。これをハッキリ言うと角が立つから、やんわりと「子供みたい」に留めただけで。

 相手を最後まで追い詰めるような、逃げ場を作らないような、ハッキリと言い切る注意の仕方をする人間ばかりではない。この彼氏さんみたいに、やんわりと言う言い方を選択する人のほうが、むしろ多いと思う。

 でもAさんのような人に、この「やんわり系の注意」は全く通用しないんだなあ、と私は改めて気づいた。「やんわり系の注意」は、自分に都合よく解釈してしまうから。

 相手の言葉の真意を慮る事は、必ずしも「拗ね」ではないと私は思う。確かに、言われてもいないのに、自分が悪く言われていると勝手に被害妄想的に受け取って拗ねてしまう人も困るけれども、どう考えてもこちらは反省を促しているのに、ハッキリ言葉で追い込まれない限り永遠に反省してくれない人は、もっと困る。こういう人に限って、他人にはアドバイスという名の注意をしたがるのがまた、世界七不思議の1つなんだけれども。

 Aさんのような人は、天真爛漫と呼ぶのだろうか。違うだろうな。何か言葉があるはずなのだけれど、今ちょっと浮かばない。

 私は基本、私自身が困る事にならない限り、誰かに何かを言っていくという事はしない。私自身が困る事になっても、多少のことなら自分が我慢するほうがラクだったりする。人に注意するというのは、本当に難しい。たいていは、自分が嫌な気分になるか、相手を嫌な気分にしてしまう。言う側も言われた側も、どちらも嫌な気分にならないフラットな「注意」というものは、はたしてこの世に存在するのだろうか。きれい事の厳しく整備された精神の世界になら存在するだろう。でも、リアルな人間の脳では、「注意された」という情報インプットは、自動的に「不快である」という反応アウトプットになるんじゃないかと思う。