書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

時間の使い方がうまくいかない

 時間の使い方が下手で、時々凹む。何かをダラダラやっていて、本当にやらなくてはいけない事はやれていないし、本当にやりたい事もやれていない。

 気づいた時に、「あ、やらなくてはいけない事を、とっとと片付けよう」と腰を上げればいいのに、グズグズしていて、どうでもいい事をいつまでもダラダラやり続ける。或いは、「あ、もうここは段取りとか一旦忘れて、後で自分が困ってもいいと割り切って、今本当にやりたい事をやってしまおう」と思うのに、やっぱり腰を上げれず、やっぱりどうでもいい事をグズグズやり続けてしまう。

 なぜこんな事が自分に起こるのか、よくよく考えてみるに、妙な完璧主義が仇になっているのだと気づく。

 つまり、こういう事。私の時間は、いつも、細切れで中途半端で、いつも誰かに邪魔される可能性があるからだ。

 やらねばならない事をやるにも、本当にやりたい事をやるにも、どちらにしても、必要十分な時間が取れない。それが最初から分かっている。何に手をつけても、いずれにしても、途中で止めなくてはいけない。それがとても嫌なのだ。

 やりたい事だけではなく、やりたくない事でも、とにかく一旦始めてしまえば、案外夢中になってのめりこみ、充実感を覚え、没頭できるというのは、分かっている。でも、没頭できるまでに行くのに、多少時間はかかるし、何よりも、没頭し出して一番楽しい最中に、いつも別の用事の為に、それを止めねばならない。それが苦しいのだ。だから、「どうでもいい事」つまり、途中で中断させられても苦しくない事で、時間をつぶしているのだ。

 私の時間は、誰かの為の用事と用事でぶつ切りにされていて、用事を滞りなくこなす為には、私自身の時間は「いつでも中断できるレベルのどうでもいい事」で埋めるしかない。と、私は考えているようだ。

 用事というのは大抵は子供の用事だけれど、それ以外でもまあまあ、色々ある。本当に何かに熱中している時というのは、話しかけられ、それに応えねばならないだけでも「中断」となり、それまでの熱中も没頭もぶつ切れになってしまう。夫は、私を秘書扱いする事を当然と思っているから、思いついた事を何でも随時私に言いつけてくるし、それを私が忘れずに遂行する事を当然と思っている。となれば、何をしていても、夫が口を開いた瞬間に、頭の中を切り替えて「メモモード」を設定し、夫の指示を書きつけなければならない。子供は夫以上に、私に頻繁に話しかけてくるし、子供自身が望む答えが私から得られるまで、話しかけは終わらない。

 24時間、私にフリータイムをもらえたら、といつも思う。どんなにか一日が充実するだろうか。でも、家庭の主婦である限り、それは叶わぬ夢だ。離婚でもしない限り、家庭の主婦である立場から、逃れる事はできない。この立場を不幸だとは思わないから、あえて離婚はしないが、しんどいことはしんどい。私は別に、被害者ぶっているわけでも、殉教者ぶっているわけでもない。心底自分の状況に嫌気がさせば、「私は家族の要望に応えられません」と言い放てばいいわけだし、勿論、離婚すれば夫からは解放されるのも分かっている。そうしないのは、私自身の選択なのだから、誰に文句言う筋合いもないし、ましてや私には、被害者や殉教者ぶる権利は全くない。

 何故私が、こういう状況を選択しているのかと言えば、多分この状況が、私にとって必要悪だと思っているからだ。例としてはおかしいかもしれないが、たとえばこういう事だ。家族のお世話係りが面倒だから、という理由で「主婦・親」という立場を降りる事は、排泄をするのが面倒だ、という理由で、食事を摂らないのと同じような、ナンセンスさを私は感じるのだ。

 主婦・親である私が、私であって、主婦・親でない私は、私ではない。私が、何かを「したい」と強く感じるその根幹にはいつも、主婦・親であるこの私がいる。誤解のないように書いておくが、全ての人が結婚すべき、とか、全ての人が子供を持つべき、とは全く思っていないし書いてもいない。主婦・親という立場は、あくまでも「今の私」にとっての必要悪なのだ、という事だ。

 必要悪、の「悪」の部分を説明すれば、要するに、私にとって都合のいことがある、という意味だ。

 必要悪、の「必要」の部分を説明すれば、もし私が主婦・親という立場ではなく、職業人として生きていたら、怖ろしい事になっていたと思うからだ。私は、単純で慎重さに欠け、傲慢極まりない人間だ。こういう人間が仕事に自分の価値を置いたら、いずれかの時点で大きく転び大惨事を引き起こす事は間違いない。こんなところに引き合いに出して申し訳ないが、スタップ細胞の方とか、今渦中の夫人とか、とても他人事とは思えない。私はさすがに年をとって、少しだけ自分の傲慢さの危険に気付き、気をつけねばと思うようになったが、それすら本当に最近の話なのだ。若い頃には全く気が付いていなかった。自分が無謀で未熟で傲慢である事にも、功を焦って無理を重ねている事にも気が付いていなかった。仕事から引き専業主婦になって子供を産み、思うようにならない日々に苦戦している中で、これが自分にふさわしい日々なのだと、最近やっと納得している。

 いつも、自分に言い聞かせている。常に時間を細切れに中断させられるこのままならない生活が、私という未熟な人間にふさわしい、必要な人生なのだ、と。そう思いきれた時に少しだけ心に風穴が開き、中断させられてもいいから何かをやろうか、という気持ちになる。