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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

世の中を理屈で割り切ると危険だと思う

 朝から風が強い。こういう日は頭にピッタリしたベレー帽を被っておくと、髪がぐちゃぐちゃにならなくて便利。ベレー帽は好きでいくつか持っている。黒や紺等の濃い色より、白やベージュ等の淡い色のほうが意外としっくりくる。年のせいか。。今日書くのは、甚だ具体性に欠けた抽象的な事で恐縮なのだが、最近よく考えるので、書き残しておこうと思う。

 自分の強みを知りましょう、とか、自分の傾向を知りましょう、とか、本質を知りましょうとか、自分掘り下げが流行だ。掘り下げて自己解放をして、こうやってああやると、人生がよくなるらしい。可能性がぐぐんと広がって成功もするらしい。

 私は、そういうのは信じていない。

 信じない理由はいくつかあるが、何と言っても、それを提唱している方々が幸せそうには見えないし(エネルギーが枯渇して疲れ切っている状態で笑っているように見える)、実際にさして成功もしていないからだ。不遜な言い方をするならば、何にもしていない私のほうが、状況としてはマシなぐらいだ。

 それと、仰る通り「こうやってああやれば」計算でいけばそうなるのかもしれない、理屈で言えば幸せになる筈なのかもしれないけれど、それはあまりにも、人生における不確定要素を無視しすぎているように思うからだ。不確定要素が次々と起こる人生で、こうやったから必ず狙った通りの結果になる、なんて事はあり得ない。理屈をあまりにも「お勉強」してしまうと、柔軟性がなくなって、不確定要素に対して適切な対処ができなくなる危険すらあると思う。

 大事なのは、自分掘り下げとか、自己解放とか、本質を知るとか、そういう「固定化したもの」ではないと思う。これさえやれば大丈夫、という固定化したものを見つければ安心できるから、そっちが大流行だけれど、今現在動いているこの空気を的確に感じて、的確に対応していく力のほうが、むしろ大事だと私は思う。とりあえず固定化した理屈は横に置き、柔軟に今現在にフォーカスして動くこと、が大事だと私は思っている。何でも理屈で割り切るのはとても楽だけれど、不確定要素に理屈で対処していたら、思った通りにはならないから苦しむことになると思う。