書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

雛人形あそび

 小さい頃は母が、毎年お雛様を飾ってくれた。母の実家から持って来た鄙びた七段飾りだ。木の大きな箱から、白い紙に包まれたお雛様を、一つ一つ取り出して飾り、時期が過ぎればまた、一つ一つ紙にくるんでしまっていく。大きな階段も外して片づける。今思うと相当の手間だったと思う。今の私にできるかと言われたら、絶対にできない。

 私が本好きなのは、幼い頃からで、3歳にはもう一人で絵本を読んでいた。日本の昔話が好きで、安寿と厨子王、瓜子姫、ものぐさ太郎などなど。。。本に挿絵はあったがそれは2次元の世界だ。雛人形のおかげで、私は、日本の昔話の世界を、実体験する事ができた。大人からしたら雛人形など小さいものだが、3歳の子供からしたら、とても大きい。実物と変わりないぐらい大きく感じた。まだまだお話の世界と、実世界との区別がはっきりとはついていない年齢の私は、3次元の雛人形を触る事で、昔話の世界をリアルなものとして経験していた。

 墨で描かれた繊細な目の表情、本物の着物の手触り、髪の広がりと重さ、随身(家来たち)の弓矢、牛車、五人囃子の楽器の仔細、、。私は、様々な雛飾りを畳みにおろしてきては、人形遊びをしたものだ。母は私がそういう事をするのを、わりに許してくれる親だった。内裏雛で安寿と厨子王ごっこもしたし、三人官女で瓜子姫ごっこもした。牛車と従者でものぐさ太郎ごっこもした。どれも、玩具にはない本物の気配を持っていたから、それはもうごっこ遊びの域を超えて、物語の世界の中に私を生きさせる事ができた。

 今、大人になって歴史小説を読む時、お殿様の姿も、お姫様の姿も、お供の者達の姿も、町人の姿も、家財道具の様子も、私はまるでその時代に自分が生きていたかのように思い出す事ができる。そこに私が思い出すイメージはすべて、かつて遊んだ雛人形の世界なのだ。

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