書くしかできない

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「裸の華」桜木紫乃

 舞台上の怪我で引退を余技なくされた元ストリッパーの女性が、故郷札幌すすきのでダンスと酒の店を開く、というお話。元ストリッパーの女性の一人称で語られる、ストリップの世界の裏事情が興味深い。自分で店を開き、人を雇ってやりくりできるだけの才覚のある女性だから、相当に賢く堅実だ。賢く堅実な女性が、何故ストリッパーという職業を選んだのか、そしてまた、自らが踊れなくなって尚、ダンスの世界を捨てきれないのは何故なのか。そのへんの謎が、この小説の芯になっている気がする。

 他の登場人物は、雇われダンサーの若い女性二人やバーテンの男性などがいて、作者はこちらにかなりのボリュームを割いている。私個人的には、他の登場人物にこれほどまでにボリュームを割くのではなく、もっと主人公の女性の人生をしつこく丁寧に書きこんで欲しかったところだ。そこだけが残念だ。

  というのも、ダンスに情熱を抱くこのストイックな主人公が、何故ストリップの世界に入ったのか、そこのところの心情が、読者としては今ひとつ理解できないのだ。作者としては「ダンスの世界では芽が出なかったので、ストリップに入った」とさらりと書いておられるのだけれど、読者としては納得できない気がする。服を着て踊るダンスの世界と、全裸で踊るストリップの世界とでは、同じ「踊る」というくくりではあるけれど、全く異なる次元の何かがあるように思う。「ダンスの世界で芽が出なかったから」というだけで、全裸で股を開き客の前でブリッジし、自慰をして見せる事に、誇りと喜びを感じる事が、本当にできるものだろうか。

 主人公の女性が、ダンスを愛しているという事、踊れる自分に誇りを持っているという事は、十分分かるし伝わるのだけれど、何故ストリップなのか、という芯の一番大事な部分についての、説得力のある記述が、残念ながら書けていない。その分、他の登場人物のエピソードをやたら書き込んでおられるのだけれど、メインの記述に手落ち感があるだけに、消化不良の印象は否めない。とても面白い小説なのに、そこだけがとても残念だった。非常にうがった見方をするならば、この主人公の女性は、「踊ること」に喜びを感じているのではなく、「踊るという自分の得意分野を使って、他人からの注目を得、注目を得る事で他人の心を支配する事」に喜びを感じるタイプの人間なのかもしれない、と思う。後者なのだとしたら、主人公のストイックさや、控えめな態度の裏に隠れている怖ろしいほどのプライドの高さと、職業にストリップを選んだという事に矛盾が生じない。納得もいく。そういうタイプの人は、どうしたって幸せにはなれないし、だからこそ小説として成り立つわけだ。ただ、作者としては、主人公のことを、「純粋にダンスを愛するピュアな精神を持ったダンサー」として美化して描こう描こうとしているので、私のこの解釈はいたって落ち着きは悪い。

 ストリップは「小屋」から「小屋」へ10日単位で移動していく興行なので、男性との固定した人間関係を作る事が難しい。主人公の女性は女性向けの風俗を利用している。その担当の男性施術師の描写が秀逸。登場も描写も少ないが、少ない施術の描写だけで、その男性の生活まで想像できる。正直、東京の有名バーテンダーが札幌でお忍びで雇われている、的なエピソードはいらないから、この男性施術師の描写をもっと深く掘り下げて欲しかった。私は年のせいか最近とみに、「東京で有名な」とか「スターになる」というような大袈裟ななエピソードには、全く惹かれない。それよりも、ああ、そこにそんな風に生きている人がいたんだ、という私の気づかなかった隙間の世界を見せてくれる描写に、魅力を感じる。

  ストリップの客は、ただのファンではなく、ストリッパーの事を女王様と崇めている。主人公についていたファンの一人が、突然舞台を下りた主人公を探して、はるばる札幌までやってきたエピソードはなかなかすごかった。オタクを絵いかいたようなそのファンの客は、ガリガリに痩せこけた体で「会いたかった。生きているうちに、もう一回だけ会いたかったんだよ。俺、癌でもうすぐ死ぬんだ」と主人公に言うのだ。主人公の女性は、慰めの言葉をかける事も泣いてしまう事もしない。なぜなら彼女は、その客にとって女王様だから、情に流されるようなヤワな事はしてはいけないのだ。彼女は「(死ぬのは)どのくらい先なの?」と柔らかく聞く。客は「二週間くらい」と答える。彼女は彼の為に踊ってやる。心底好きでたまらないものが生きる(死なない)エネルギーになる、ということ、その対象がストリッパーの女王様である事が、それほど異常な事には思えなかった。むしろとても自然な、健気な、愛しいことに思えた。

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