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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「許す」という事

日々の思い

 人から何をされても「許す」事ができると、人生とてもラクになる、というような文脈を最近よく目にする。更にその深意は、人から何かをされて怒りを覚えるという事は、他人に対して怒っているようで、実は自分の中の未解決部分を直視させられてしまう事への怒りであるので、人に怒っているようで実は自分に対して怒っているのだ、という事らしい。

 ややこしいがまとめて言えば、自分を許す事ができると人生ラクになる、とそういう事なのだそうだ。自分がどんなに愚かであると気づいても、反省するのではなく、「どんな自分も許す」。それが人生をラクにする秘訣なのだそうだ。要は、ありのままの自分で、というヤツだ。

 無闇に背伸びをしない、とか、不必要なプライドは捨てる、とか、無意味な自分責めは止める、とか、そういう方向なら共感できるのだが、この「どんな自分でも許す」というのは、個人的にはあまり共感できない。それって結局、「自分に都合の悪い事は、無かった事にする」という姿勢だと思うから。「自分を許す」と言うと、何かとても高尚な深い行為のように聞こえるが、要するに無反省で自己中になりましょう、という事を、綺麗に語っているだけだと思う。

 子供のことがあって、一時アドラー等のポジティブ心理学に心の救いを求めて学んだが、今のアドラーブームには危険なものを感じる。アドラーが確立したポジティブ心理学は、健康な心の持ち主に適用するものではなく、あくまでも、心を病んだ人に対して適用するものだ。心を病んだ人が、正常な心の状態まで浮上する為に、緊急処置として使うものだ。アドラー自身がそう語っている。

  しかしながら、アドラーの流れである「自分を許す」も、人生をラクに生きる秘訣として、ごくごく普通に喧伝されてしまっている。なんだか背中が薄ら寒い気がする。例えばトランプ氏なども、エゴの押し通しをやりたいだけやって任期が終わればさっと去っていくだろうし、そこに罪悪感の欠片も感じないだろう。ポジティブ心理学流行りの世の中だから、そういう彼のメンタリティーがそれ程異様なものとは感じられない。私を含め、どこかみんな諦めている。

  ポジティブ心理学は、健康な心の人が自己中を正当化する為に使うものではないのだが、それはもう通らない世の中になっている。