書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「思考は現実化する」の実態

人をスペックで切り分けるような事は苦手だが、「ああ、合わない」と思う人は、やはり自分と大きくスペックが異なっている事に、最近よく気づく。

 例えば、先日書いた義母は、兼業主婦で早婚で早くに子供を作った人だ。私は専業主婦で子供を産んだのも遅かった。そういう人生が良いと考えて選択した、という事はやはり、もともとの気質が異なるのだとあらためて思う。

 また例えば、人にアドバイスするのが死ぬほど好きな人がいる。ああ、あの人は合わない苦手、と思っていたら、最近彼女の事を詳しく聞く機会があり驚いた。他人にあれだけ上からアドバイスをしまくっているのだから、どれだけ立派な人生を送っておられるのだろう、と思っていたら、案外、、、だった。ずっと知らなかったのだが、シングルマザーさんでいらっしゃった。日々の生活にも困っておられるそうで、借金を頼まれた人が何人もいるそうだ。私には頼んでこられなかったのは、私が「あなたは苦手」オーラを思いっきり出していたからだろう。養育費と母子家庭手当とパート代で生活されているが、それでは生活できないのだそうだ。私は、お金が無い事を悪だとは思わないが、不便だとは思う。だから私自身は、生きていくのに困らない程度の経済環境を整える事を、人生の最優先事項と考えている。でも彼女は「我慢しない」とか「嫌な事はしない」とか「自分の思った事を思った通りに言う」とか、そういう事を人生の最優先にしている。そういう彼女の視点から立って、私など、「我慢ばかりして、嫌な事ばかりして、自分の思った事も言わないなんて、ダメだ」と否定されてきたのだ。「もっと、自由に生きなきゃ駄目よ」と忠告されてきた。でも、自由に生きた結果が、他人に借金を頼む人生になるなら、やっぱり私はそのほうが嫌だなあと思った。

 あと、やたら「幸せ」アピールしてくる女性がいる。彼女は、私と同年代だがお仕事をされていて未婚でお子さんもおられない。お仕事は、水商売のようなものだ。そしてとても派手だ。仕事なんて遊びの延長よ、というのが口癖で、海外旅行や伝統芸能に執心されている。特にハワイと能と歌舞伎がお好きで、ハワイに行く事を「里帰りしてくる」と表現される。彼女一流のジョークなのだが、あまり好きにはなれない。ハワイにしても、能や歌舞伎にしても、彼女の「個人的な所有物」みたいに語られるのにはどうしても違和感がある。そして、いかにご自身が「人気者」であるか、「美人」か、誰とどこに行った何を食べた何をしたどんなに楽しかった、という事を、逐一自慢気に披露されるのにも違和感を覚える。浮世離れした感じ、地に足がついていない感じに、ああ、この人とは合わないなあといつも思ってきた。その彼女が今年に入って急に、「なんだか毎日空しい」とか「寂しい」と言うようになった。あれだけ派手に幸せアピールしていた人が。不思議なような、いや当然の帰結だろうと思うような、よく分からない気持ちになる。ただ一つ言える事は、私は彼女のような人生は歩まないだろう、という事だけだ。

 自分自身を考えると、何かを強く決意して人生を歩んできたわけではなく、なんとなく運と成り行きに任せて流れてきたように思っているのだが、実はそうではないのかもしれない。無意識に、自分の気質に沿うものを選び、自分が生きたいように生きているのかもしれない。だから、私のように年をとってくると、明らかに気質の異なる人とは、全く違う人生になっているのだろう。「思考は現実化する」というのは、こういう事なのだろうと思う。「思考は現実化する」という言葉は、「願えば叶う」という風にご都合主義に解釈される事が多いが、実際は、人はみな自分の人生を自分で選んできたのだよ、ある程度の年になれば自分の人生は全て自分の責任なのだよ、という事を別の言い方で表現しただけに過ぎない気がする。