書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

義母という人

 「お姑さんが苦手です」と言ったら、きまって「愛する旦那様を産んで育ててくれた人を悪く言っちゃダメ」と諭して来られる方がおられるが、アレは何なんだろう。そういう筋の話をしているのではなく、ただシンプルに私は義母が苦手なのだ。苦手に思ってはいけない、とか、なんなら感謝しなければいけない、と言われても、そんな事は分かっているし、面と向かって「苦手です」と言うわけではなく、私はただ心の中で毎回「面倒くさい」と感じているだけなのだ。

 義母は遠方に住んでいる。私が義母の様子を見るのは、年に一度、お墓詣りに行く時に義母宅に泊まる時と、逆に義母が我が家に泊まりに来る時だけだ。本当は、お墓詣りだけして日帰りして来たいところだが、さすがにそれは失礼だろうと思って、しぶしぶ泊まらせて頂く事にしている。一方義母が我が家に来る時は1週間ほど滞在される。義母が帰られた後は、私の頭に円形脱毛症ができている。体というのは正直なものだなあといつも思う。

 私は先日、ふと気づいたのだが、私が義母を苦手なポイントというのは、私が夫を苦手だと思うポイントと、同じなのだ。面白いと言えばいいのか、当然と言えばいいのか。

 例えば、義母も夫も、何故かリビングで寝てしまう癖がある。リビングの隣りが寝室で、寝具もきちんと整えいつでも寝られる状態にしてあるのに、何故かリビングでテレビを観ながら寝てしまう。「お布団で寝て下さい」と声をかけても、「うんうん」と言うのだけれど腰は上げず。どうにも不思議なのだけれど、義母は「布団できちんと寝る」事を「怠惰で贅沢な人間のやる事」と考えているフシがある。「いつまでも寝ないで起きてリビングにいる事」を、質素で堅実で働き者の人間の証だと考えているようなのだ。義母は、睡眠時間が短い事をとても誇らしげに語るし、とにかく寝ないでとにかく起きてる事が遠慮深く賢い人間のする事だと考えているようだ。早々に寝室に行きベッドに入る事を、贅沢な怠け者のする事だ、と思っていて、だからどれだけ声をかけても寝室には行かずリビングで頑張る。そしてリビングで、エアコンもテレビもつけっぱなしで寝てしまう。夫も全く同じ。他人がするなら気にならないが、夫にこれをやられると、体調を崩すのではないかと心配になる。最近はもう諦めて、極力それでストレスを感じないよう気を付けているが。

 あと例えば、義母も夫も、基本的にグズだ。何をやらせてもグズグズしている。特に、家を出る時が遅い。私など、自分の用意だけでなく、子供の用意もしてやり家事も全部一人で片づけて、それでも、義母や夫より用意が早くできてしまう。彼等がどうしてあんなにグズグズしているのか全く理解できない。一緒に買い物などに行くと、これまた遅い。私など、買うものを前もってメモっていくので5分で終わるのだが、彼等は放っておくと、いつまでも延々うろつくのだ。一つのものを買うのに、何時間かかろうと平気なようだ。集中してパッと決める、という事ができないようで、いつまでもあれこれ際限なく眺めている。しびれを切らせた私が「どれにしますか?これにしますか?」と聞いても、「うーん」とか「そうねえ」とか言って決めない。決断しないのだ。私はそもそも大変なせっかちなので、待たされるのが苦手で、本当に疲れる。だから極力彼等とは買い物には行かないように気を付けている。なんだかもう、私がせっかちなのが分かっていて、わざとグズグズしているのかなと思う時もある。

 あと、彼等は妙に意地悪なところがある。意地悪と言ったらいいのか、意固地と言ったらいいのか分からないが。例えば義母宅に泊まった時の朝ご飯など、まあ出て来ない。子供はどこに行っても毎朝7時に起きるので、義母宅でも7時に起きるので私も起きる。「寝ない」事を身上としている義母は、当然もっと早く起きている。なのに、朝ご飯が出て来ない。私が勝手に冷蔵庫を開けて、あるもので何か作らせてもらえば良いのだが、義母宅のキッチンは義母が牛耳っていて、勝手に触れない雰囲気なので手出しできない。お腹がすいた子供がキッチンで粘っていると、義母は子供にだけ朝食を出してくれる。が、私には出さない。義母も夫も前夜は夜中まで飲み食いしていたので、朝食は食べない。というか義母は、「寝ない」のを身上としているのと同じく、「朝食を食べない」事も身上としている。「朝食を食べるなど、怠け者のすること」という雰囲気を出している。「働きもしないのに、朝からモノを食べるなんて贅沢者のすること」と。孫は子供だから別としても、嫁(私のこと)には朝食は食べさせない、と決めているようだ。別に一食抜いても死にはしないので良いのだが、なんとなく不愉快な気分にはなる。ちなみに義母は、我が家に来た時は、しっかり朝食を召し上がる。義母はたいてい、コーヒーと何か甘いものを所望される。

 夫にも意地悪な面は沢山ある。例えば、私がのんびりしていたり、楽しんでいたりすると腹が立つようで、そういう場面をことごとく邪魔をしてくる。例えば夕食の準備でも、出来上がってもすぐには食べてくれない。いつも「あと30分後に食べる」等と言う。食事の準備をしている経験のある人なら分かると思うが、作ったものを端からさっさと食べてくれたら、さっさと終われるが、作りあがってから食べてくれるまでに時間があると、いつまでも終わらないのだ。30分後、夫に食事を出さねばならないと思うと、その間落ち着いてリラックスする事はできない。何故「今」ではなく、30分後なのか、理解できない。嫌がらせだとしか思えない。あと、私が楽しく外出している時に限って、何度もしつこく電話してくる。5回も6回も着信が残っているので、仕方なくメールで「用事は何?」と返すと、メールではなく電話をしてくる。仕方なく出ると、本当にどうでもいい用事なのだ。メールで書いても1行で終わるような。本当に心の底から「ああ、面倒くさい人だ」と思う。

 しかしながら、私が義母や夫について、これが一番苦手だな、と思う点は他にある。それは、親切の押し売り癖だ。彼等は、こちらが頼みもしないものを、勝手に「良かれと思って」買ってくる。頼んだものなら嬉しいが、頼んでいないものなので、喜べないしむしろ迷惑なのだ。たとえば、義母は、定期的に野菜や果物を大量に送ってくる。ウチは3人家族なので、とても使い切れる量ではない。ご近所に貰って頂くのにも限界がある。腐らせる前に食べきらないといけないと思うのが、本当にしんどい。これを他人に言うと、「せっかく送ってくれているのに迷惑がるなんて、バチあたりだ」と言われてしまうので、何も言えない。でも、私にとっては本当に迷惑なのだ。私は、野菜も果物も、その日食べたいものをその日食べきれる分量だけ買いたい。大量に送ってこられるのが嫌なのだ。使い切れずに腐らせてしまった時に、それを捨てる罪悪感が嫌なのだ。早く使い切らなくては、とパンパンになった冷蔵庫を前に、焦り続けなくてはいけないのが嫌なのだ。そういうのは本当に胃が痛くなるのだ。どうしても何か食べるものを送りたいなら、賞味期限の長いお米とか缶詰品にしてくれたらいいのに、義母は何故かいつも足の早いナマモノを送って来る。年末に鱗のついたままの生の鮭を丸ごと一匹送って来た事もあった。鱗を取って捌くのは私だ。死ぬほど面倒でゲロが出そうだった。キッチン中に生臭い鮭の鱗が飛び散って、それを掃除にするのがまた一苦労だった。一年で一番忙しい年末に。義母は陰で「うちの嫁は私の真心を理解できないようだが、私はそれを知っていて、それでも色々送ってあげている。いつかは嫁も、私がいかに真心のある人間なのか理解できる日が来るだろう。今の未熟な嫁には理解できないだろうが、いつか理解できるだろう」と言っている。親切の押し売りが、何故真心なのだろう。どうしてそうやって、一方的なのだろう。私には一生理解できない。

 夫にもそういうところがあって、「良かれと思って」勝手にモノを買ってきては、家の道具を増やしていく。邪魔だし片付かないし、迷惑極まりない。例えば、掃除など手伝ってくれた事がないくせに、掃除機をやたら買ってくる。掃除機は一家に一台あればよいのに、こういう用途にはコレ、ああいう用途にはコレ、と色んな掃除機を買ってくるのだ。どこに置くのだ。誰が使いこなすのだ。台所用品なども、ご飯作りを手伝ってくれた事などないくせに、やたらと買ってくる。大きなエスプレッソマシーンとか、チーズフォンデュセットとか。一度夫が使っただけで、後は放置され、埃をかぶったままキッチンの場所ふさぎになっている。本当に迷惑だ。「そういうものは買わないで」と何度も夫に言っているのに止めない。その上、掃除機や台所用品を「妻の為に」買ってあげることを、善行だと思っているようだ。夫の「善行」を素直に受け取らない私が、間違っていると思っているようだ。

 私の子供が障害児だと分かった時、義母は私のほうの家系に問題がある(自分のほうにはない)と決めつけた。私の実家が先祖供養を怠ったせいで「こんな子供(息子のこと)」が生まれたのだ。普通の子供になれるように、きちんと先祖供養をしろ、と言ってきた。息子が生まれたことを、何かの「罰」のように言ってきた。それは本当に私には許せなかった。息子が障害児で生まれたのは、何かの罰の表れではない。息子をそんな、「悪の証明」のように言わないで欲しいと思った。障害児だろうがなんだろうが、息子は私の宝なのだ。むしろ「善き事の結晶」なのだ。息子の存在を、何かの呪いのように言われて、私は傷ついた。まだ若かったから。今なら誰かから同じような事を言われても、気にならないと思うが。

 ちなみに私の実家は旧家で菩提寺もちゃんとあり、先祖供養には手をかけるほうだ。また当初は、義母は、家に行っても、周囲に孫か来ている事を隠そうとしていた。障害児なんて恥ずかしくて周囲に見せられない、と思ったようだ。それが、だんだんと育っていくにつれて、我が子を誉めるのもおかしいが、とても人として見目麗しく賢く育っていったので、今は義母は私の子供の事を「お気に入りの孫」として、あちらに帰るたびに周囲に見せびらかして歩いている。夫も全く同じで、子供が小さい頃の「ザ・発達障害児」で手に負えなかった時は、全く子育てに参加してくれなかったが、今育ちあがって手もかからず、普通のお子さんのような反抗期もなく、親を批判的に見る事もない素直でやりやすい存在になってからは、やたら子供の生活に関わろうとしている。休みの日には一緒に行動したがる。勝手なものだと思うが、理解できなくもない。

 ネガティブな事ばかり書いているが、別に個人的に、義母や夫を嫌っているとか、恨んでいるとか、そういうわけではない。このぐらいの人間的な欠点は誰にでもある。私にもある。おそらく私のほうが、義母や夫よりも、多くの、そしてより深刻な欠点を持ちあわせている。そもそも類友の法則で言えば、縁続きになっている以上、私は義母や夫と同程度の人間か、それ以下という事なのだ。それを考えるとなかなかに切ないが、事実だから仕方ない。

 これは深イイ話でも何でもないのだが、今思い出したので書き足しておく。義母が、私の母に電話で、「前回、息子宅の滞在から帰る時、〇〇さん(私のこと)が、『また来て下さいね』と言ってくれた。涙が出るほど嬉しかった」と話したそうだ。確かに私は帰り際、「また来て下さいね」と義母に言ったが、それはただのお別れの挨拶だ。なんなら厄除けぐらいの意味で言ったのだ。母から、「お義母さんがとても喜んでいたよ」と聞かされて、もう二度とああいう不用意な言葉を発するのは止めようと思った。義母に我が家に滞在してもらいたいと、私は願った事がない。義母だってそれは分かっている筈なのだ。分かっているくせに、毎年堂々とやって来るのはまだいい。でも私の「また来て」発言を、言質を取ったとばかりに喜ばれるのは、不本意だ。その場の雰囲気を円滑にする為のリップサービス的な言葉は、もう二度と言うまいと思っている。

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