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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

幸せを享受するには媒体を増やす

 幸せを享受するには、数多く媒体があったほうが効率がいいと思う。抽象的な言い方で申し訳ないが。

 例えば、こういう事だ。

 2月に入り、寒いながらも日差しに少しづつ強さが増してきた気がする今日この頃、晴れた日の太陽の日差しは、本当に心地良い。だけれども、家の中にいて日差しの有難さを存分に味わうという事は、なかなか難しい。だから私は、ベランダで花を育てているのだ。リビングから窓を通して花を見ると、日差しを浴びて幸福感に輝いているのが見える。もうすぐ春だ、それはすぐそこまで来ている、なんと幸せなことか、という彼等の声が見える。精いっぱい太陽に向けて伸びた茎や葉、開いた花の全てに、太陽の日差しが眩しく光っている。私一人では、春間近の日差しの幸福感を感じ切るには限界があるが、ベランダの花、という媒体を通す事で、その幸福感は一気に増えて感じられる。

 人が幸せと呼んでいるものは、ただ自分自身の脳内のある種のホルモン値が上がる事でしかない。ドーパミンオキシトシンといった。ただ、ドーパミンのような報償系ホルモンの強烈な幸福感は、強烈なだけに長続きしないし中毒性もあって危険だ。だから、オキシトシン系ホルモンの幸福感に絞って考えたい。

 オキシトシンセロトニンバソプレシン等の穏やかな幸福ホルモンを分泌するのは意外と簡単で、脳が「心地よい」と感じればよい。脳が心地よいと感じれば、人は穏やかで長続きする幸福感を感じる事ができる。例えば、接触刺激、入浴、音楽、風景、瞑想、適量のお酒、性行、食事など。つまり幸せを享受するには、「心地よい」と感じる機会を増やせばいいわけで、であれば受け取りを自分以外のものに対しても広げる事が、その機会を増やす事になると私は思うのだ。つまり、媒体を増やす、という事だ。それは、共感力を広げる、という事でもある。

 例えば、ベランダの花の心地よさを自分のものと感じる、性行の際に自分だけでなく相手の快感も感じる、誰かの心地よさも自分のものと感じる、そうやって「心地よい」と感じる器を広げていけば、幸せは無限に広がっていくように思う。偉そうに書いているが、私自身が完璧に出来ているわけではない。そういう風に生きれたらいいな、という話です。